Ⅳ 精神科学自由大学の諸部門/朗唱・音楽芸術部門

出典:Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S.79-82

訳:石川恒夫

朗唱・音楽芸術部門
Sektion für Redende und Musizierende Künste

ヴェルナー・バルフォード
Werner Barford

私たちの部門は表現芸術、つまり時間芸術であるオイリュトミー、言語造形、演劇、音楽、 人形劇を包括するものです。その中でもオイリュトミーはルドルフ・シュタイナーの時代 の精神から新たに発意された芸術であり、「秘められた自然法則の現われ」(ゲーテ)で あり、芸術であると同時に学問であり、宗教でもあります。「我々の目にする人間は、完 成されたフォルムである。この完成されたフォルムはしかし、自ら形成する、そして溶解 する原フォルムから生まれでた。(中略)神がオイリュトミーする。そして神がオイリュ トミーをすることで、オイリュトミーされた結果として、人間の形姿は生まれるのだ。」 オイリュトミーへの道は、この背景に基づいて、新たに創造されるべき一つの文化への 道です。それは、イニシエーションの意識から生まれてきた芸術を発展させるために、現 代の芸術家が個人的な自我を変革しなければならないこと、その職能の道を秘儀参入の道 としてとらえることを学ばなければならないことを意味しています。今から100年前、ルド ルフ・シュタイナーの芸術衝動は、その詩作において、演劇において、彫刻において、オ イリュトミーにおいて、第一ゲーテアヌム(「ことばの家」)の造形において見えるもの にされ始めました。全人間は芸術をとおして(自らを)明らかにするべきなのです:動き、 ことば、音楽としての包括的な意味における「言葉の存在としての人間」(シュタイナー) を。1923年のクリスマス会議にルドルフ・シュタイナーは普遍アントロポゾフィー協会と、 諸部門からなる精神科学自由大学を設立しました。マリー・シュタイナーは理事のほかに、 朗唱・音楽芸術部門の代表も引き受けました。1903年からすでに、彼女は朗唱芸術をルド ルフ・シュタイナーのテオゾフィー・アントロポゾフィーの仕事の中へもたらしていたか らです。その有能な、実行力をもった導きをとおして、ことばの芸術とオイリュトミーは 短期間に花開くように発展しました。マリー・シュタイナーは1948年クリスマスの彼女の 死まで部門代表を担っていました。

芸術の霊的源泉を自覚すること

私たちはこうして新しい要請からまもなく100年という節目を迎えようとしています。 それぞれの霊的衝動は70~80年という時を経て、生命を再生すべく、新たな仕事の方法を 必要としています。そこに従事する人間は、基礎的事柄を積極的にとらえつつ、自らの力で芸術の霊的源泉を発見しなければなりません。そのためには、集中した人間学的な探求 と、芸術への理解を深める協働が求められており、時代に即した学生の要求と、達成され るべき職業的な目標に応じた養成における新たな道が必要です。 このことは、またオイリュトミー、音楽、ことばのそれぞれの芸術が共に強く働きかけ あうことをとおしてあらわれます。これらの芸術は、精神的―魂的存在としての人間に語 りかける「境界」の芸術として、魂的-精神的な芸術手段をとおして働きかける課題をもっ ています。 部門はまた養成機関とともに、時代や若人や職能の世界の要請を満足させるように、新 たな仕事の方法と目標を授けるよう努めています。これはまた授業の方法を通して、専門 家としての自立性、芸術的手段を深く理解すること、経営的・社会的能力を育むことを意 味しています。それは学生にとって、その芸術において、魂的-精神的なものとともに、 職業生活との結びつきが得られるようにすることでもあります。様々な職業の方向をもっ た部門のなかにあって、学生たちが展開された職業的イメージを、現実に即して実践でき るよう、修業方法のコンセプトが練られています。 全ての、様々な職業領域で活動している、そしてその基礎をルドルフ・シュタイナーの 芸術衝動においている全ての人々との出会いの場は、大切に育まれています。その場合、 オイリュトミーのメディテーションと定礎のことばのエソテリックな源泉が導き手となり ます。精神科学自由大学第一クラスのマントラの道は、方向付けと力と守りとして、共同 作業の核を形成します。光の形姿としてのエーテル体は、あらゆる行為のための基礎を形 成します。この場合、未来のための課題が見出されます。すなわち、全人間を生命体、魂、 自我をオイリュトミー芸術の中で明らかにさせることです。 ルドルフ・シュタイナーは、予防、サルートゲネーゼ(健康創生論)、そしてあらゆる 形式をもつ芸術をとおして、人間の進化のために、健全化の諸力を強化しようとする中部 ヨーロッパの課題を、「衛生的なオクルト主義」と名づけています。このことも部門への 要請といえるでしょう。ただ舞台芸術としての芸術、教育における芸術、そして治療のた めのみならず、社会的な職業領域にも気を配ることなのです。自立と確かさをもって、い かなる状況にあっても、芸術手段から振舞うことができる能力は、基礎修業によって育ま れ、職業のもつ特殊な要請に応じて展開されなければなりません。 人間学を踏まえたオイリュトミーの芸術手段の徹底と拡充、そして魂と自我の基礎の上 に基づく新たに展開される芸術手段についての研究作業は、すでに多くの年月を経ており、 その作業方法と成果は、セミナーや講演などで多くの人々の信を得ています。

協働のための器官

四つのパートそれぞれに一つの部門クライスが、部門の器官に属しており、研究課題を 把握しています。パートである音楽、言語造形、人形劇はそれぞれ一人のスタッフをもっ ています(財政的な制限をうけて)。オイリュトミーの研究のために、部門アドバイザー のクライスが基本的な修業の問題に共に取り組んでいます。 基礎修業における職業の能力改善の問題、就職したての人のための助言のネットワーク 形成、教育オイリュトミーと治療オイリュトミーのための委任グループがあります。そして教育者、実務に即した修業年のための研究コースもあります。年に2回、教育者のため の講座があり、それに続けて教育者の世界会議が開催されています。近年においては専門 家養成の方法が変わり、オイリュトミーや言語造形のディプロム(卒業)取得や職能に多 くの注意が払われました。オイリュトミー委員会や言語造形のためのイニシアチブ・グルー プは、ヴァルドルフ学校連盟とともに仕事をしています。 それぞれのパートは毎年、専門会議を開催して、部門はその準備をしています。加えて 部門を横断した会議や、オイリュトミー学校の最終学年生の出会い「オリンピアーデ」も 開催されています。 数多くのセミナーや講座が、各国から部門に対して要請されており、それらの諸国での 会議もともにつくります。ゲーテアヌム・ビューネ(舞台)との密接な協働も育まれてい ます。来るべき年の展望は、近年あらゆるレベルで未来の課題が作業され、実りあるプロ セスと発展が目立ち、希望に満ちています。 年に2回発刊される部門報告(ルントブリーフ)は研究作業、テーマ、報告のほかに、上 述した事柄の生き生きとしたレポートを含んでいます。

1)2007年秋にオイリュトミスティン、マルガレーテ・ゾルスタートが、ヴェルナー・バルフォードか ら部門代表を受け継いでいる。

文献:
Rudolf Steiner: Vorträge über Eurythmie, GA277-279 Rudolf Steiner: Sprachgestaltung unf Dramatische Kunst, GA280-282 Rudolf Steiner: Das Wesen des Musikalischen und das Tonerlebnis im Menschen, GA283

出典:
Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S. 79-82
翻訳:石川 恒夫

Ⅳ 精神科学自由大学の諸部門/教育部門

出典:Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S.73-77

訳:石川恒夫

教育部門
Pädagogische Sektion

クリストフ・ヴィーヒェルト
Christof Wiechert

歴史のスケッチ

1923年のクリスマス会議において、普遍アントロポゾフィー協会は、アントロポゾフィー 運動とアントロポゾフィー協会が一緒になることによって新たに設立されました。その中 心に、精神科学自由大学は生まれました。その探求は様々な生活領域に向けられており、 普遍アントロポゾフィー部門から霊感を受けるものです。生活領域の一つは教育です。こ の部門のために、ルドルフ・シュタイナーは部門代表を指名しませんでした。なぜならシュ タイナーは、この部門を普遍アントロポゾフィー部門とともに自ら指導しようとしたから です。 そのときまでに、精神科学的に模索した教育芸術の具体的な示唆はすでに存在したので しょうか。1907年にシュタイナーはささやかな本を出版しています。『精神科学の観点から見た子どもの教育』です。それはわずか35ページながら、教育芸術の全宇宙を萌芽とし て含んでいるものです。この書籍には以下のような文章がみられます。「精神科学は、教 育芸術の構築のために駆り立てられるならば、ここで考察されることに関して、個々の食 べ物や嗜好品に至るまですべて明らかにすることができます。」この1907年の呼びかけが、ヴァルドルフ・アストリアのタバコ会社社長エミール・モルトの耳に届くまでに12年 かかりました。1919年9月7日にシュトゥットガルトに最初のヴァルドルフ学校が誕生しま した。それは最初の教師のための「普遍人間学」、「方法論的・教授法」、「ゼミナール 問答」(GA293-295)の講座が終了して二日後のことでした。 クリスマス会議までに、この種の学校がさらに二つ誕生しました。一つは1921年2月1日 にドルナッハに誕生した「フリートヴァルト・シューレ」であり、「ゲーテアヌムの実科 学校」として、7人の子どもと3人の教師とともに始まりました。シュタイナーによる芸術 的な授業のための多くの示唆を得たこの学校は1956年まで存在しました。もう一つの学校 は1923年9月にオランダのデン・ハーグに設立された「フリー・スクール」であり、クリ スマス会議で報告されるべきものでありました。なおこのクリスマス会議の間に、シュタ イナーとスイスの教員グループとの間で話し合いがもたれ、さらなる学校設立がいかにな されるべきかが話し合われました。

エソテリック(秘教的)な基礎

すでに1907年の『(精神科学の観点からみた)子どもの教育』において、ルドルフ・ シュタイナーは「生成する人間の本性を認識したければ、人間の隠された本性の考察から 出発しなければならない。」と記しています。この一文は1917年に本質的、かつ劇的な深 化を見せます。『外界の精神的背景』(GA177)のなかの様々な講演において、未来の教育 の課題が取上げられています。そこでは人間の身体性がもはや魂と並行して発展しないこ とが提示されています。なぜなら「個性はもはや身体との内密な関係にないからである。」 「もしも今日、人間を外的に存在するものに従って考察するならば、一つの映像が得られ る。もしも人間を直接外的に存在しないものに従って考察するならば、別の映像が得られ る。これらの映像が今日すでに一致することはなく、ますます一致しなくなっていく。」 それに連続して教育の課題が描かれています。即ち、未来の教師は、「透視する存在」で あるような子どもたちとの関係を発展させなければなりません。教師は「予言にいたるま で、教育を受ける者から望むものの映像を獲得しなければならない。」 教育の作用は、今日という日にのみ奉仕すべきではなく、その人の生涯に奉仕するべき です。学校時代に体験したことの思い出は、物事をつくりあげる力の生き生きとした源泉になるべきです。教育 芸術を形づくる「精神科学が召集されたとき」、ルドルフ・シュタイナーは1919年から開 かれた壮大な教育講座の中で、これがいかに本当に成就されるべきかを、詳細にわたって 示唆しました。これらの内容を細かくみていくと、畏敬の念を引き起こすような、全く新 たなことを始めたことが浮き彫りにされます。どのような委託からこれらの行為が生じた のか、人はただ予感することができるでしょう。例えばルドルフ・シュタイナーが『普遍 人間学』の冒頭(第一講義1919年8月21日)に語ったことにそのことがみてとれます。 「この意味において、私は先ず最初に何よりも深い感謝の念を捧げたいと思いますのは、 私たちの愛すべきエミール・モルト氏を導き、ヴァルドルフ学校創設という事業を通じて、 人類の進歩発展に寄与しようという良き考えを氏に生じさせた「善意に満ちた霊たち」に 対してなのであります。人類を危機と悲惨より救済し、授業と教育とによって一層高発展 の段階へ導こうとしている善意に満ちた霊たちの名において、私は彼らに深い感謝の念を 捧げたく思うのです。」

部門の課題と作業形態

部門の中核的な課題は、教育芸術の探求にほかなりません。例えば『普遍人間学』を学ん だ人は、この学びだけでは有能な教師になれるわけではないことに気付くでしょう。なお 別のあり方の理解が必要であり、この内容と別様に関わることが必要になります。読者がただ彼の思考器官においてのみとらえるのではなく、全人間で触れるようなあり方です。 認識や感情を伝えることが始まり、変容への欲求が生じます。いかに人は、身につけたこ とを生きるのでしょうか。恐らく人はここ、あそこで、およそ練習、回顧、集中力の練習 などの形をとって試みることを始めるでしょう。おそらく、ある種の体系をもって練習し、 いずれにせよ他者との交流において、そして体験するでしょう:教師への道は、練習して いくことです。しかし教師という存在もまた、絶えざる練習をとおして自分自身の発展を 要請するのです。 このことを部門は仲介したいと願っています。子どもは生成する人間です。そしてそれ はやはり生成する人間によってのみ教育されうるのです。そのような人間のもとで子ども は例えば、生成するものを体験し、みずからそれと共に添いたいと願うでしょう。部門は この生成するもののきっかけを提示するよう努めています。『普遍人間学』という基本文 献をともにしつつ、部門はここにその主課題を見出すのです。 勿論そこから、副次的な研究行為の舞台が生じることは自明のことです。教育会議、子 ども会議、上級学年の授業方法の問題、自己管理、社会的能力、これらは常に作業を必要 とする課題領域です。 教育芸術は主にヴァルドルフ学校、ルドルフ・シュタイナー学校に受肉し、今日、世界 中への広がりをみせているため、国際的な協働も課題の一つです。そのためにこの協働を 可能にする機関が生み出されています。世界中で学校運動のために活動している「教育芸 術の友」(の会)があげられます。また「ハーガー・クライス」は、国際的なヴァルドル フ学校の会議として理解されます。このクライスはまた、4年ごとにゲーテアヌムで行わ れる世界教師会議、教育会議のテーマに対する責任も担っています。 国際的な学校運動の仲間から構成される部門コレギウムが部門代表をサポートします。 ゲーテアヌム理事の代わりに、教育部門は「国際宗教教師委員会」との協働において、毎 年開かれる「宗教教師会議」を主催します。課題と研究の一部は、世界中の学校運動から の報告とともに年4回刊行される「部門回覧誌」《二ヶ国語》にまとめられ、全ての学校 と教員ゼミナールに送られています。

文献:
Rudolf Steiner: Die Erziehung des Kindes vom Gesichtspunkute der Geisteswissenschaft, GA34 Rudolf Steiner: Allgemeine Menschenkunde als Grundlage der Padagogik, GA293 Rudolf Steiner: Die gesunde Entwicklung des Menschenwesen, GA303 Rudolf Steiner: Konferenzen mit den Lehrern der Freien WaldorfSchule 1919-1924, GA 300 a-c

出典:
Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S. 73-77
翻訳:石川 恒夫

Ⅳ 精神科学自由大学の諸部門/医学部門

出典:Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S.67-71

訳:石川恒夫

医学部門
Medizinische Sektion

ミヒャエラ・グレックラー
Michaela Glöckler

「いにしえの時代、
秘儀参入者の魂には ある思想が力強く生きていた。
誰もが 生れつき病んでいるという思想が。
そして教育は 治療のプロセスとみなされた
それは成熟と共に子どもに
健康をもたらした
人生の完成された人間存在のために。」*1

「境界において
感覚の暗闇と精神の明るさが
眩惑のなかで互いに混ざり合う。
この眩惑の写しが
病であり病のうちに守護者が生きている。
精神において意識的に出会い
肉体において無意識に出会う。」*2

*1:Rudolf Steiner: aus dem 1. Rundbrief für Ärzte vom 11.März 1924, in [Meditative Betrachtungen und Anleitungen zur Vertiefung der Heilkunst], GA 316
*2:Rudolf Steiner: Januar 1924, Notizbuch, in ≪Mantrische Sprüche, Seelenübungen II≫, GA 268

アントロポゾフィーを現実的・学問的医学及びその実践に統合し、そこから「アントロポ ゾフィーの医学的体系」を構築することが医学部門の課題である。この体系において、疾 病の精神的側面は、これが「精神生活の物質的イマジネーション」として現れるよう理解 される、つまり、境界の守護者との無意識的な出会いとして。それに対して健康は、教育 と自己教育のプロセスの成果として示され、人生と自分の発展の目標を方向づける。 アントロポゾフィー医学の設立者であり、医学部門の初代代表である医学博士イタ・ ヴェークマンとルドルフ・シュタイナーによって共同執筆された『精神科学的な諸認識に よる治療芸術の拡大のための基盤』(1925、GA27)において、二人の著者はアントロポ ゾフィー医学の探求の基礎のみならず、教育と治療実践のための道をも指し示した。そこ で展開された医学的な人間学は、人間の生命の二重の本性、つまり人間の魂と精神という 本性を、一方では人間の魂と精神の発展のあるものが肉体のプロセスにおける物質形成と 変容といかに具体的に関わりあっているか、他方、医薬品の調合がいかに、その固有の製 造プロセスによって、「自然を、人間への道へ」もたらすことができるかが、明らかにな ることを記述している。薬剤師の作業をとおして、この薬の効き方は、人間の有機体で生 じているプロセスと類似のものとなる。それは健康と病の連続に影響を及ぼすものである。
アーレスハイムにイタ・ヴェーグマンによって、1921年にシュトウットガルトにオッ トー・パルマー医学博士によってそれぞれ誕生した最初の治療研究所の設立以来、アント ロポゾフィー医学は今日、全ての大陸、およそ60カ国に見られる。そこでの、この喜ばし い発展は、医者の領域のみならず、看護、薬剤、心理セラピー、治療教育、芸術療法、治 療オイリュトミーなどにも見られるのである。現在、それにつながる医学の広がりはしか し、だからこそ初めて深刻な危機にさらされている。というのも、経済的な圧力と保健制 度における規制が強化されているために、地位の保全と可能な更なる発展のチャンスが脅 かされているからである。ここでアントロポゾフィー医学は、他の補足的・代替的な医学 的方向と運命を分かち合い、健康政策的、政治的領域で、他の代替医学とともに仕事をす ることになる。
医学部門において1989年以来、協働する専門家のための世界を横断するネットワークが つくられた:アントロポゾフィー医学の国際協調(IKAM)である。ここで仕事をして いる個々の職業領域のコーディネーターは、社会有機体のそれぞれ三つの領域に及ぶ。即ち:
精神の領域において、IKAMは研究内容と諸成果を守り、アントロポゾフィーの 職業資格の証明のための判断基準の発展と同調に貢献する(例:アントロポゾフィー の医者、治療オイリュトミスト)。
職の公正な権利と政治的領域において、IKAMは教育と職業実践の法的保護のた めに活動し、また常により必要なものとなる倫理的基礎に立って仕事をする。
経済・社会の領域において、IKAMはふさわしいグループ代表と公共とのコミュ ニケーションのために配慮する。
その場合、明瞭な意識がIKAMのコレギウムには生きている。つまり、今日、社会有機 体はより病んだ状態にあり、アントロポゾフィー医学はここでも貢献することができる、 と。 アントロポゾフィー医学の機関が据える課題は、細かい点においても健やかな、つまり、 三分節された社会有機体組織を構築すること、もしくは発展途上のものを促進することに ある。これは精神的には自由な企業のイニシアチブを意味しており、法的にはパートナー と申し合わせをしたり、信頼のできる約束を支えうる文化において、一貫した仕事を意味 し、経済的―社会的な領域においては、「この機関に公正なものを見るがゆえに」自由に 用立てたり、特定のプロジェクトの支援のためという目的につながる融資の方法を持つ仕 事を意味している。

仕事の展望

来たる年には5つの重点課題があげられる。
アントロポゾフィー医学の精神的基盤を固めること。
基本文献から高度な精神科学的、自然科学的レベルへ向かう作業
基礎研究及び疾病特有の研究の促進(個々の事例研究、グループの比較研究、成果の研究)。
大学研究室及び堅実な経済支援をもつ地域の研究機関を含めた研究文化の構築。
非ヨーロッパ文化圏を含めた、さらなる養成の展開。
アントロポゾフィー医学の基本文献の世界中の言語への翻訳促進
公開作業及び「成人患者」及び「健全なる保健制度」の発展の支援
加えて、クリニック(大学付属病院)を経済的に安定したものにすること、というのもそれらの機関がなければアントロポゾフィー医学はさらなる発展も望めないからであり、同様に、特に薬事法が自己制定されるヨーロッパにおいて、経済的に医薬品の法的基盤の形 成のために努力することである。 大学全体を見ると、医学部門は現代の社会生活において、中心的な立場にある。「なぜ 人は病気になるのか?」という問いは、現代人の核心的問いであろう。病理的、治療学的 な問題設定が反映されない社会生活の領域は存在しない。現代文化における多くは、病ん でおり:不確かさ、不安、アイディンティーの問題、薬品乱用や暴力のかたちを取った限 界の突破、魂的にも肉体的にもこれらのことが生活感情を規定し、少なからず日常をかた ちづくっている。だからこそ、健康の源泉の解明は、肉体的のみならず、特に魂的、精神 的領域でも必要なのである。従って、医学部門の課題は、治療的視点を、他の専門部門の 作用にも求め、光を当て、共働の形を促進することにあり、その中で、個々の人間は、た だ健康に発展するのみならず、健康を維持することもできるのである。

基本文献
Rudolf Steiner: Gundlegendes für eine Erweiterung der Heilkunst nach geisteswissenschaftlichen Erkenntnissen, GA27 Rudolf Steiner: Vorträge zur Medizin, GA312-319 Rudolf Steiner: Das Initiatenbewusstsein, GA243

出典:
Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S.67-71
翻訳:石川 恒夫

Ⅳ 精神科学自由大学の諸部門/数学・天文学部門

出典:Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S.61-66

訳:石川恒夫

数学・天文学部門
Mathematisch-Astronomische Sektion

オリヴァー・コンラート
Oliver Conradt

科学的直観とイマジネーション

数学・天文学部門という、二つの専門領域は、人間に対して対極的な、かつ補足しあう関 係にあります。数学は、人間本性の内部に根差すものです。私の思考する意志の中に、ま た思考する意志を通して、アルゲブラ(代数)の諸関係と幾何学的な表象像は、同じ前提 から出発する全ての人が、内的に、私自身もそうであるように、同じ結果に至るように論 理的な合法則性に従って導き出されるのです。天文学はそれに対して、天上の感覚的な知 覚から始まります。その考察対象は地球を含めた宇宙全体です。知覚において、人間は身 体の感覚器官にゆだねられ、それによって彼の存在の外側にあります。 部門の両領域において、つまり直観を生み出すことが問われてきます。それは数学的な 概念によっては「内部」に、他方では人間本性の「外部」での知覚によって形成されます。 ですから、私たちの部門は「数学的・天文学的直観のための部門」と呼ぶこともできます。
エソテリック(秘教的)に考察するならば、数学と天文学は互いに相反する、より高次な 認識の段階の「支流」として生ずることを意味します。例えば天空の現象においては、感 覚知覚となったイマジネーションが、人間に歩み寄ってきます。数学的作業の厳密なファ ンタジーにおいては、イマジネーションは思考の側からとらえられます。
精神科学自由大学において、数学・天文学部門の協働者はそれゆえ、数学的・天文学的研 究をより高次な認識の段階からさらに発展させるという課題を育成しています。この課題 こそが理想となるでしょう。

部門の設立と発展

ルドルフ・シュタイナーが精神科学自由大学を1923/24年に設立したとき、彼は部門代表 としてエリザベート・フレーデ博士(Dr.Elisabeth Vreede)を任命しました。すでに1922年の4月にシュタイナーはデン・ハーグにおけるアントロポゾフィーの学問コースについての 報告の中で、彼女を「アントロポゾフィーを数学的自然科学の領域へ導く」「この上なく 活動的な」人物と評しています。
ルドルフ・シュタイナーは1912年に著者として名を出すことなく、「カレンダー1912/13」、サブタイトルとして「自我の誕生から1879年に」を出版しました。これには、序文「何が意図されているか」に続いて、1912年4月1日から翌年1913年の3月31日までの、週ごとのカレンダーが掲載されています。1912年の復活祭は4月7日であり、1913年では3月23日でした。イメ・フォン・エックハルトシュタインの手による、太陽が黄道十二宮を巡っ ていく季節の絵がそれぞれの週のページを補っています。それに続いて第二部には序文と52週の週の言葉(箴言)をもった『魂の暦』があり、再び復活祭から始まります。 ルドルフ・シュタイナーのこのカレンダーとの結びつきにおいて、そしてまたアントロ ポゾフィー農業の欲求を顧慮して、エリザベート・フレーデは協働者ヨアヒム・シュルツ とともに、1928年から年刊のカレンダーを発行し始めました。最初の年は、1929年復活祭から1930年復活祭までについてであり、今日まで、数学・天文学部門は80年以上、この 「星のカレンダー」を発刊しています。この編纂はフレーデからヘルマン・フォン・バラ ヴァレ、ルイス・ロッヒャー-エルンスト、ヨアヒム・シュルツ、スソ・ヴェター、トーマ ス・シュミット、ヴォルフガング・ヘルトに受け継がれています。
1935年復活祭の総会における、エリザベート・フレーデのゲーテアヌム、普遍アントロ ポゾフィー協会理事からの退任、同時に数学・天文学部門代表からの引退後、ヘルマン・ フォン・バラヴァレ「数学・天文学部門の要件の知覚」に引き継がれ、1937年にバラヴァ レがアメリカへ亡命するにあたり、彼の不在中ルイス・ロッヒャー-エルンストに委託さ れました。ルイス・ロッヒャー-エルンストは、1962年復活祭に普遍アントロポゾフィー 協会理事に任命されるまで、非公式に部門代表にとどまりました。ルイス・ロッヒャー- エルンストは理事としての本来の仕事が秋に始まる前の1962年8月に逝去し、暫定的にマ リオ・ホヴァルト-ハラー、ゲオルグ・ウンガー、スソ・ヴェターによって部門が担われま した。1963年クリスマスの臨時総会に、ゲオルグ・ウンガーが新しく部門代表となり、1990年に数学者ゲオルク・グレックラーに委ねるまで、その任にあたりました。2005年か らオリヴァー・コンラートが部門代表についています。

テーマと研究課題

星座のカレンダーのほかに、以下のような研究テーマが部門で取上げられています:現象 学的な天文学、植物と宇宙との関係における理論的実験的研究、宇宙論的な人間学、数の 精神的基礎、空間と反空間、線型幾何学、射影幾何学による数学的物理学の発展と改革、 反転技術、数学や天文学の授業(方法)などなど、該当する出版物が以下に並びます。 今後の関係者の研究指向は、二つの課題領域に分けられるでしょう。即ち「精神科学的 宇宙論」と「自然科学と技術における空間と反空間」です。
「精神科学的宇宙論」は、現象学的な天文学の擁護育成、人間の宇宙との関係が表出さ れているところの宇宙像の意識の歴史を包括するものです。また地上(世俗)的・宇宙的関 係の認識と、過去、現在、未来における宇宙の発展のための精神科学的認識を包括します。 この領域における研究は、これに関するルドルフ・シュタイナーの示唆の探求につながり、 また例えばエリザベート・フレーデ、ヨアヒム・シュルツ、ヘルマン・フォン・バラヴァ レ、ローレンス・エドワード、トーマス・シュミット、リスベト・ビスターボッシュの仕 事に接続していきます。 「自然科学と技術における空間と反空間」の課題領域は、点、線、面の三重のコンセプ ト、いわゆる「自我の数」と自然科学と技術のための新しい数学的直観の意味を包括しま す。この領域における研究は、ルドルフ・シュタイナーは勿論、ジョージ・アダムス、ル イス・ロッヒャー-エルンスト、パウル・シャッツ、ペーター・ゲシュヴィント、ニック・ トーマス、レナトゥス・ツィーグラーにつながっていきます。 この両研究領域の仕事は上述した数学・天文学部門の理想の意味において、普遍的アン トロポゾフィーの継続的な深化から生み出されるものです。

実践

数学・天文学部門は、一般向け、専門家のために、規則的に会議や講座を開いています。 ドイツの自由ヴァルドルフ学校連盟、ゲーテアヌムの普遍部門、教育部門との協働におい て、研究者、学生、教師のために天文学、数学に関する研究講座が提供されています。反 転技術の領域においては、スイス、バーゼルのパウル・シャッツ財団との密接な協働があります。ペーター・ゲシュヴィントによって導かれた数学・物理学研究所(ドルナッハ)と 部門とは定期的な意見交換を行っています。 自ら選んだ数学、天文学のテーマをアントロポゾフィーの精神科学的観点から深めてい きたいと考える学生、研究者のために、ドルナッハのゲーテアヌムに滞在する可能性があります。

出典:
Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S.61-66
翻訳:石川 恒夫

Ⅳ 精神科学自由大学の諸部門/自然科学部門

出典:Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S.55-60

訳:石川恒夫

自然科学部門
Naturwissenschaftliche Sektion

ヨハネス・キュール
Johannes Kühl

認識の基礎と方法

自然科学部門において、世界中の研究者と教師は、程度の差はあっても緊密なネットワー クの中で共に仕事をしており、その仕事をアントロポゾフィーとゲーテアヌムとの結びつ きの中で行おうとしています。私たちのこの仕事は三つの視点に分けられます。
学問的諸成果:≪善き≫自然科学の成果は、アントロポゾフィーと矛盾するものではあ りえないがゆえに、片やその諸成果はいつもアントロポゾフィーを豊かにし、またその逆 にアントロポゾフィーの探求は、自然科学の成果への眼差しを豊かにします。近年、力が 注がれてきたことは、アントロポゾフィーからの視点と方法(例えば繊細な結晶化の問題) を、公的な自然科学の議論の場へ導入することです。ゲーテ主義的方法:アントロポゾフィー運動に於いては、自然科学はその運動の初期か ら特別な役割を演じていました。シュタイナーが認識論的な基礎を自然科学的な直観との 論争の中で、そして自然科学を示唆するあの時代の認識論との論戦の中で発展させたがゆ えのことです。この関連においてシュタイナーは、ゲーテの意義を未来の自然科学の可能 性としてたえず強調してきました。それゆえ、部門で働く多くの人が、自然科学者として ゲーテの方法を適合させることを課題とし、様々な領域に応用し、例えば自然科学の授業 を豊かにすることを試みてきました。こうして多くの専門領域において膨大な数の仕事と 著作が生まれてきました。瞑想的修行:シュタイナーによる一連の示唆があり、アントロポゾフィーによる瞑想的 な修業の道として、自然科学者のための特別な要請と可能性を含むものであり、例えば生 命の諸関係や形成力をただ理論的に考えるのみならず、思考しつつ体験するためのもので す。ここでは直接ゲーテ主義的態度から出発し、さらなる仕事の領域が広がっています。 そこでは感覚界への愛情に満ちた傾倒から、対象への意識、事物への意識をとおしてより 深い、生き生きとした自然への理解のための道筋を可能とする能力が展開されるように、 と。
この三つの視点は、互いに浸透しあっています。そこに共通しているのは、「現象をベー スとした科学」を発展させる意志であり、現象の中で思考しつつ、見出された諸関係を真 摯に受け取り、瞑想的な認識の態度をもって正当に評価することにあります。このような 深化した研究は、様々な生活領域への結果をもちうることが可能であり、自然との関わり の中にあって、例えばランドスケープデザイン、バイオ・ダイナミック農法、薬学的なプ ロセスの開発や理解、そして学校でいかに自然科学を教え導くかの方法について展開され ていくものです。

部門の略歴

自然科学部門は1923年のクリスマス会議に設立されました。シュタイナーはギュンター・ ヴァクスムートを最初の部門代表に任命し、その際特にその直前に出版された『宇宙と地 球と人間のエーテル的な形成力』との関係を示唆しました。 ヴァクスムートはクリスマス会議以前にすでに、数年の間、エーレンフリート・プファ イファーとともに、シュタイナーと自然科学的な諸問題について定期的に討論してきまし た。そしてヴァクスムートは、特にゲーテアヌム再建の重責を担う、普遍アントロポゾ フィー協会の財務担当の仕事と並行して、生き生きとコーディネートと研究と出版の活動 を展開しました。彼はとりわけその著作において、文献から取り出した(選び出した)科 学的な諸成果に対してアントロポゾフィー的な解釈を試みました。加えて一連の文章を集 めたものがあります。ヴァクスムートが部門代表である間に、プファイファーはゲーテア ヌムのグラスハウスと名づけられた建物で、銅の塩化物を用いた繊細な結晶化の方法と取 組み、パウル・オイゲン・シラーは当時注目されていた振動に敏感な炎を用いた実験を貫 徹し、様々なルドルフ・シュタイナーの示唆を究明しました。 ヴァクスムートの死後、生物学者ヘルマン・ポッペルバウムが1963年に部門代表を担 い、ゲーテ主義的な様々な問題、特に進化に取り組みました。繊細な結晶化の問題はなお 続行されました。1960年代半ば、一連の、特にドイツの科学者によって、部門コレギウム が部門代表の下で発足し、このコレギウムから1971年に生物学者ヨッヘン・ボッケミュー ルが部門代表に招聘されました。 ボッケミュールは特に、様々な条件のもとで成長する植物の葉の並びから出発し、エー テル的なものへの新しい、思考する道筋を発展させました。それは物理学者ゲオルグ・マ イアーとの協働が欠かせないものでした。この時代の部門の仕事の頂点として、様々な著 者による「エーテル的なものの現象形式」(シュトウゥットガルト、1976年)、「グリー ン80」の展覧会カタログ「生命の諸関係を認識する―体験する―造形する」 、「アントロポゾフィー・自然科学研究年」の開設、これはときに30名の学生が在籍し、活発な関心 から1970年代に発展し、1990年代まで続きました。その後学生数の減少により閉鎖されま した。
1996年以来、ヨハネス・キュールが部門を担っています。

研究共同体における現代の協働

部門活動を育成するために、部門代表は定期的に、様々な国や専門分野の自然科学者か ら構成される部門コレギウムと共に仕事をしています。加えて多くの国に、部門の地域的 なグループがあります。様々なジャンルで専門グループが協働しています。例えば普遍生 物学、植物栽培(品種改良)、遺伝学、薬物学、地理学、化学、物理学、水の問題、映像 を形成する方法など。 これら全ての領域において、現代の自然科学やテクノロジーの発展をとおして、サスティ ナブルな人間と自然との関係の希求をとおして生じてくる特殊な要請があります。機会あ るごとに、自然科学の成果がアントロポゾフィーと一致しうるのかという問いと取り組ん でいます。 さらには一連の研究機関があり、その仕事を大なり小なり部門との関係の中で位置づけ、 あるいはこの関係のために寄与しようとしております。ハーレムビレHarlemville(アメリカ)の「自然研究所」、オランダの「ルイス・ボークLouis Bolk研究所」、ドイツ、ヴィッテ ン・ヘルデッケの「進化生物学研究所」、ドイツ、カッセルの自由ヴァルドルフ学校連盟 における「教育研究所」、ヘリシュリートの「流体科学研究所」、ニーフェルン・エシェ ブロンの「カール・グスタフ・カールス研究所」などです。 ついで部門は農業部門とともに、ドルナッハで固有の研究機関を運営しています。ここ では、他の場所ではできないようなテーマや方法を取上げることが試みられています。こ れらの作業は、人間の諸体験を真摯に受け取り、内容豊かな思考作業がアントロポゾフィー の多くの内実との確実な関わりを可能にするという確信に担われています。他方協働者は、 作業週間や会議の準備をとおして、出版物の援助などをとおして、部門ネットワークを育 成しつつ共に学んでいます。他の機関のほかに、様々な大学、治療薬企業(ヴェレダ、ヴァラ)、ヴァルドルフ学校運動の様々なフォーラムとのパートナー関係が挙げられるでしょう。

展望

さらなる発展のために一連の課題が挙げられます。 研 究:取り急ぎ取り組むべき研究課題の一部は、アントロポゾフィーの実践から、農 業から、薬学から、教育学から出てきます。以前にもまして、これらの諸領域においては、 その正当性をより深く理解することなく、処方箋に基づいて実行されてしまう多くの事象 があります。他の問題として、今日の社会から導きだされる要請があります。つまり、い かに私たちは遺伝学的に手を加えられた有機体を根拠づけつつ評価することができるので しょうか。また、それらは異なる生息(環境)条件のもとでどのようになるのでしょうか。 結局のところ、歩み始めた道をいわゆる「像形成の方法(bildschaffende Methode)」の重要性(有効性)に向けて促進することが大切でしょう。 協 働:この「像形成の方法」のさらなる仕事のための前提は、この領域での協働を強 化していくことです。過去数年の仕事は、進化の領域で仕事をする仲間は、研究の成果と、シュタイナーの示唆に対する共有の視線からなお遠く隔たっているということを明らかに しました。類似のこととして、様々な側面から「形成力」のテーマで仕事をする人々が共 に討論していく最初の試みが生じました。 教 育:とりわけ全体的(総合的)な、ゲーテ主義的―アントロポゾフィーの自然科学 に根差した教育を構築することが課題となります。加えて、ニュースレターをとおして英 語版を提供することが緊急に求められています。その準備がアメリカで進んでいます。

基本文献:Rudolf Steiner: Grundlinien einer Erkenntnistheorie der Goetheschen Weltanschauung, GA2(ゲーテ的世界観の認識論要綱)/Rudolf Steiner: Grenzen der Naturerkenntnis GA 322(自然科学の限界)
出典:Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S.55-60
翻訳:石川恒夫

Ⅳ 精神科学自由大学の諸部門/普遍アントロポゾフィー部門

出典:Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008, Dornach S.37-38

訳:石川恒夫

普遍アントロポゾフィー部門
Allgemeine Anthroposophische Sektion

ハインツ・ツィンマーマン

名称がすでに物語っているように、普遍アントロポゾフィー部門の代表者は、普遍的・人 間的なものと関わる諸問題と取り組むものであり、特定の生活領域や職業に限定されるも のではありません。それゆえこの部門は、他の部門に対して、中心的な機能をもっていま す。なぜなら普遍的・人間的なものは、アントロポゾフィーの研究領域、生活領域に対す る基盤を形成するからです。 従って精神科学自由大学の第一クラスに入る会員は、まず基本的にこの普遍部門との結 びつきをもち、このベースの上に立って、各自の専門的関心に従って、一つないし複数の 部門で活動することになります。そうすることで、特定の生活領域や研究領域に特化して いく、いわゆる専門部門で活動する会員も、自らの領域の専門にだけ目を向けないこと、 狭い視野にとらわれないことが意図されているのです。むしろ、普遍的・人間的なものの 潮流から専門的事象がより実り豊かなものとなるでしょう。勿論、この普遍的・人間的な ものの基礎はそこに作用する専門的な方向付けによってニュアンスを帯びます。従ってル ドルフ・シュタイナーは、例えば医学部門に見られるように、それぞれの部門が特有のエ ソテリックを仲介すべきことを提唱していました。しかし、その指摘以前にも、特定のグ ループが固有な職業のエソテリックを発展していきました。最も良い事例は、シュタイナー が1919年、1923年にヴァルドルフ学校の教師に伝えた教師のメディテーションです。1923/24年のクリスマス会議における自由大学の設立時に、シュタイナーはその指導を 引き受けました。今日、ゲーテアヌムの大学コレギウムが精神科学自由大学を全体として 指導しています。それゆえ大学コレギウムが個々の部門代表に委任しています。この意味 において、大学コレギウムは2002年に、ゲーテアヌム理事会のメンバーに対して、普遍ア ントロポゾフィー部門の指導と、第一クラスの案件の調整を委託しました。現在の7名の 理事の誰もが、普遍アントロポゾフィー部門の中の特定のテーマと特に結びついていると 感じ、各自の探求と統合をとおして、実り豊かなものにしようとしています。

精神科学的な研究と瞑想:ハインツ・ツィンマーマン
キリスト論と精神的ヒエラルヒア:ヴァージニア・シース、セルゲィ・O.プロコフィエフ
再受肉とカルマ:パウル・マッカイ
精神科学的人間学:セイヤ・ツィンマーマン
時代精神と発展の問題:ボード・フォン・プラトー
精神的社会的能力:コルネリウス・ピーツナー

出典:
Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008, Dornach S.37-38
翻訳:石川恒夫

精神科学自由大学のエソテリックな構成 – 後半

出典:Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008, Dornach S.122-124

翻訳:石川恒夫

精神科学自由大学のエソテリックな構成 – 後半

ミヒャエラ・グレックラー
Michaela Glöckler

未来への展望

ルドルフ・シュタイナーの早すぎる死によって、自由大学を構築するというすでに 見込まれていたいくつかの歩みは実行されませんでした。私たちはしかしそれにも かかわらず、彼の構想に基づいて、そしてクリスマス会議によって与えられたこと から、たとえ萌芽的であろうともすべての資質をもっていることを知るのです。自 由大学をこれからさらに強化することについては僅かな示唆しかないので、さらな る仕事のための視点と態度は、それぞれのさらに前進させようとする思考をいんぎ んに控えることから、具体的な作業の試みに続くイニシアチブにまで及んでいます。 ゲーテアヌムの大学コレギウムには、自由大学に新たなクラスを つくることに対 するイニシアチブは今のところないとしても、これらの可能であろう作業のきっか けを私はここに描写したいと思います。それは三つのクラス が、精神生活におけ る三つの中心的な学びの方向―学問、芸術、宗教―と関係をもつことに基づいています。
イタ・ヴェーグマンはルドルフ・シュタイナーによって第一クラスの指導に任命さ れました。彼女は特に医学分野では極端に推し進められてしまい、人間を直接おび やかしている物質主義を克服しようとする課題を担っていました。医学の領域に精 神性を導入し、アントロポゾフィーをすべての医学的認識と仕事に導くことが彼女 の課題だったのです。第一クラスの各時間のイマジネーション、ことば、スケッチ は、学問を支配する物質主義による、意識の深い傷つけを克服するための道を示し ています。問題なのは認識の道であり、精神科学の道です。それは前述(会報48号 参照)した≪火の試練≫で頂点に達することです。この≪火の試練≫の及第は、見か け(Schein)と存在(Sein)の区別をもたらし、それによってそれぞれの学問の目標に なります。認識の勇気、火、創造の力が問われるのです。 第二クラスに結ばれた課題を示唆するために、1911年の「テオゾフィーのアー トと芸術のための協会」設立の衝動と、「神秘劇」の芸術的な仕事を見ることが助 けになるでしょう。ここで問題なのは、精神的・社会的な能力の育成、社会的―芸 術的なもの、運命の形成の秘密、そしてカルマを厳粛に受け止めることです。つまり人間は他者の運命の刻印や模索と、ともに作用することを学びます。神秘劇で神 殿のシーンが示すことがあてはまるでしょう:つまり、人間の運命がいかに賢明に 秩序付けられているか、人間にとって自らの運命に意識的に向かいあい、社会的問 題に直面して方向性を失わないことがいかに難しいかということです≪水の試練≫。 会員への手紙のなかで、ルドルフ・シュタイナーはそのために必要な道徳的な技術 のことを記しています。この書簡を私は、神秘劇と同様に、第二クラスの仕事の質 を学ぶための素材とみていす。
第三クラスの仕事のインパルス(衝動)は もっと深いところにあります。僅かな示 唆から、ここでは現実的に実行するなかで明らかになるであろう、文化的―宗教的 な仕事が問題であることが推測されます。そこでは人類と世界の関係がアントロポ ゾフィー運動の課題として立ち、それらがいかに決定的に奉仕されうるかが問われ ます。テーマとして、いわゆる「ミヒャエル書簡」が本質形成のための展望を示し てくれています。時代にふさわしいインスピレーション(霊感)とイントゥイッショ ン(直観)を受け入れることは、それによって準備されうるでしょう。直接に、もっ ぱら精神の現実として、「ミヒャエルの奉仕において生き、行動する」≪大気の試 練≫の質はそうして育まれるのです。
このような未来への展望を育てることは、今日、第五、第六、第七後アトランティ ス文化期のポジティブな発展のために配慮されることに私が貢献できるよう、私の 中でつくりかえられ、作業されなければならない問いが燃え立つとすれば特に大切 です。明らかなことは、第一クラスの学びがもっぱら、現代の第五文化期において 問われている文化的課題の克服―物質主義的な学問や世界観がもたらす破壊的な結 末の認識と克服―に捧げられているということです。第二クラスのモチーフを、私 は共同体形成と兄弟愛のプロセスが文化を規定していくであろう、そのような時空 間として第六文化期を準備することとの関連において見ています。構想された第三 クラスの仕事の衝動はそれに対して、第 七文化期の課題を先取りするものです。こ こでは「あらゆるものに対するあらゆる戦い」を、個々人を意識的に人類全体へ導 きいれることへ変容することの可能性が問題です。 精神科学自由大学の課題は、様々な職能や生活形式に対して、できるだけ多くの人々 が偉大な人類の課題の中に現実に立つということを実現できるような道を見出すこ とです。「意識的な修行」による、そして「生活による秘儀参入」の質を、未来に 希望をもつ文明の発展の基礎にすることが問題なのです。

出典:
Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008, Dornach S.122-124
翻訳:石川恒夫

精神科学自由大学のエソテリックな構成 – 前半

出典:Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008, Dornach S.117-122

翻訳:石川恒夫

精神科学自由大学のエソテリックな構成 ‒ 前半

ミヒャエラ・グレックラー
Michaela Glöckler

設立の意図

本書でその基本的特性について描写された精神科学自由大学の課題は、ルドルフ・ シュタイナーによって知覚された19世紀最後の三分の一の「荒れた物質主義の高 まり」への精神的な打ち込みの内にその源泉をもっています。「それは敏感な情緒の理解をもつ人が精神生活の諸力から受け取ることができる、 精神的なものの啓示です。精神の啓示が人類のために開かれました。そして地上的 な恣意からではなく、精神界からの近代の啓示として、人類の精神生活のために生 じてきた偉大な映像を見ることによって、そこからアントロポゾフィー運動は、そ の全体において、その全ての細部において、神々の、神の勤め(ミサ聖祭)です。 そして私たちが、それをその全体においてこのような神の勤め(ミサ聖祭)として 見るとき、私たちはそれに対する正しい気分に出会います。」(ルドルフ・シュタ イナー『普遍アントロポゾフィー協会設立のためのクリスマス会議』開会講演 1 923年12月24日:上松佑二訳)ルドルフ・シュタイナーはクリスマス会議の開会講演において、この精神的な打ち 込みついて、この近代の啓示について語り、希望をもって講演を閉じました。 「このアントロポゾフィー運動は、それに身を捧げるそれぞれの個人の魂を精神界 におけるあらゆる人間的なものの源泉と結び付けようとすることを、このアントロ ポゾフィー運動は、人間を地球の人類の発展の中で、当分満足すべき、あの最後の 開悟へと導こうとすることを、私たちの心の中に深く書き留めたいと思います。そ の開悟は、始まった啓示について、私たちは人間として、地上において神に望まれ た人間として、宇宙において神に望まれた人間として存在している、という言葉に 包まれるものです。」(同掲書)ルドルフ・シュタイナーはクリスマス会議について言及した最後の講演(1924 年9月5日)において、この希望を強く語りました。「私たちは適切な霊的なもの を、精神界において近代に発展し、地上生において生き続けるあろう精神的な運動 を、私たち人間が霊的運動に忠実であり続けることが出来るとき、私たちがアントロポゾフィー協会に属しているということを、認めることができなければなりませ ん。」 ルドルフ・シュタイナーは部門代表者に「アントロポゾフィー運動はなんらかの 支部(枝)を導くように」と課題を与えています。自由大学のコレギウム全体には、 この霊的運動とその育成をめぐる配慮への義務があります。つまり個々の職能とそ の生活領域における神々への勤めのような性格をつくりだす課題が生じます。それ よって一方ではアントロポゾフィー協会の生命は必要とされる衝動を獲得すること ができます。他方、時代に即した文化生活はそれによって命を吹き込まれ、その発 展が促されることでしょう。

敷居の状況と文化を治療する課題

人類が全体として20世紀への転換以来、精神界への敷居を超えたという事実はい かに顧慮されうるのでしょうか。世界の情勢は、個々の人間がこの事実を意識する ことができなければ、悲劇が悲劇を呼ぶことをますますはっきり示しています。職 業生活、社会生活においてこの敷居の意識を育成することは、個々人が人生に意味 と方向性を与えることによって、発展の関係に対する個々人の責任という感情を目 覚めさせます。その場合しかし多くのことも顕わにされます。意識的に精神界への 敷居に近づくことは快適なものでは全くなく、心地よいことではありません。もし このことが誠実に生じるならば、幻想はおのずと崩れ落ち、ベールは引き裂かれる でしょう。自己の存在においても、他者の存在においてよりも深い層からの直接的 な知覚が生じます。 個々が意識的に敷居を超えてゆくための準備として三つの決定的な歩みが、エソテ リックな伝統において火の試練、水の試練、大気の試練と呼ばれています。 誠実な自己認識と世界認識の火によって、自己と他者を無意識に不愉快な真実から 守ろうとする自己欺瞞が焼け落ちます。自己や他者に対する大きな失望の結果生じ る信頼関係の 危機において、人は水の試練の質を体験します。それと共に結ばれた深い不安感に、 また評価や支援や内外の励ましという道筋を壊してしまうことに直面するとき、行 為への根拠を、問題となる事柄の内からひたすら見出す時にのみ人は健全に自己を さらに発展させることができるでしょう。個人的な共感はそのとき沈黙し、沈黙し なければなりません。事柄の内にのみその根拠をもつ行為への愛が耐えるのです。 それがたとえ「不安定」なものであったとしても。大気の試練の質はそれに対して、 現代人が文化的に創造的に振舞い、癒すような行動をしようとするとき、特に必要 とされる能力です。そのためには真実性(火の試練のプロセス)の教育、愛の力(水の試練のプロセス)の育成だけが必要とされるのではありません。特に「道徳的な 直観」(自由の哲学)の力が求められます。つまりそれは状況から正しい判断をす る能力です。加えて勇気と寛容な態度と無条件の自由への愛が必要です。これらは 社会生活が万人にとって発展する場になるための特性です。同時に敷居を意識的に 超えてゆくことを可能にする力です。

社会的参加と人類の発展

ここで描き出された自由大学のコンセプトはアントロポゾフィー協会との恊働にとっ て、そして公的生活の只中に立つ上でどのような結果をもたらすのでしょうか。社 会有機体の三つの分節という生活の必然性からこのことが極めて印象的なありかた で示されます。 精神生活の領域では、個々人の社会参加と精神的な事業家気質の促進が必要です。 法的領域においては明快な取り決めの構造が必要であり、そこに関わる人の可能性 と作業形式を熟慮し、意識的に最善のものにすることが必要です。経済的・社会的 領域では個々人が個人の才能と能力とを通して持ち込むことができるものを認める 文化が特に必要です。そうすればもともと社会生活において困難なこともうまくゆ き、その実りを示すこともできるでしょう。つまり、個々人の参加と恊働への意志 から可能になる文化衝動の共働の代表です。そのためにはこの共同体形成のための 考えられる三つの形式を意識的に擁護することが必要です。そのことをルドルフ・ シュタイナーは1923年12月27日のクリスマス会議のコンテクストにおける スケッチによって明示しました。

ルドルフ・シュタイナーは一番下に「普遍アントロポゾフィー協会」を省略して記 し、その上に三つのラテン語の数字(I II III)が水平線で分節されています。 その数字は精神科学自由大学の三つのクラスを意味しています。垂直線の部門につ いてシュタイナーは、部門の仕事のあり方やその作用の意図は水平にイメージする べきでなく、それぞれのクラスと交わりながら垂直に考えるべきであると語りまし た。そこから見てとれるのは、部門活動にとって問題なのは文化衝動であり、精神 界から直接的現実的な生活に垂直に流れ込むものであるということです。部門の仕 事は、精神から研究されるところで、生活において起こるものです。勿論アントロ ポゾフィー協会の会員ではない、また自由大学の会員ではない、しかしこの垂直の インパルスのために仕事をする恊働者もいるでしょう。 この垂直線がアントロポゾフィー協会を超えて下に向って開放されていること、い わば実生活に届いていくということ、他方で第3番目のクラスを超えて上方にも開 かれているということは一考に値するでしょう。 アントロポゾフィー協会のなかでの共同体形成のフォルムは、ひたすら個々人のイ ニシアティブ ‒ あるグループにつながろう、あるいは自らそのようなグループをそ の土地や専門分野において組織しようとする個々人の自由なイニシアティブによっ て構築されているように、自由大学における共同体形成のあり方は、共有の意志に 向きあいながら「自己にふさわしい行為」が目標です。つまり自分自身の意志を他 者の「姉妹、兄弟の」 – ルドルフ・シュタイナーはクラッセン・シュトゥンデにお いて自由大学の会員に何度も呼びかけているように ‒ の意志と調和させることです。 そうしてのみ、イニシエーションの衝動を現実生活において効果あるものにするこ とができるような、世界を包括する作業共同体は生まれるでしょう。自由大学の会 員のための三つの条件※1はそのさい道徳的な装備として、エソテリックな共同体 形成への道の途上での決定的な助けとして示されるでしょう。 部門の関係における共同体形成に関して、垂直性の次元に次のものが加わります。 生活共同体と研究共同体が問題であり、誰もが自己の個人的能力と、第一クラスの 学びの関係において訓練された兄弟のような能力をそれぞれの職業参加へもたらす ことです。この場合部門活動にとってそれぞれの生活領域における問題提起や作業 の必然性の直接的な知覚が不可欠です。しかしまた垂直線の志向によるより高次な 領域からのインスピレーション(霊感)も必要です。それはつまり第二もしくは第 三クラスの本質に由来する、質と仕事の可能性についての問いなのです。

※1「II精神科学自由大学とアントロポゾフィー運動」アントロポゾフィア20 11年1-2月号、「III精神科学自由大学」アントロポゾフィア2012年5-6月号、「IV精神科学自由大学 会員になること-学び-コンタクト」アントロポゾ フィア2012年11-12月号を参照ください。

出典:
Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008, Dornach S.117-122
翻訳:石川恒夫

精神科学自由大学・会員への通信/ルドルフ・シュタイナー

出典:Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008, Dornach, S.152-159

翻訳:石川恒夫

精神科学自由大学
Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft

1 会員への通信 1924 年 1 月 20 日 /ルドルフ・シュタイナー

アントロポゾフィー協会は、クリスマス会議の意図が実現されるように、将来にわ たって協会の会員によるエソテリックなものへの探求ができる限り充足されなけれ ばなりません。普遍(アントロポゾフィー)協会はシューレ(学び舎)に三つのク ラスを設けることによって、この充足に向かおうと思います。 精神を認識することの本質にあるのは、精神認識が、精神を直観することへの道を 知る個人によって見出される諸成果をもって人々に向かうことです。もし、このよ うな諸成果が、それを自分自身で見出すことが可能な人によってのみ認知されると 思うとすれば、それは偏見です。このような諸成果を認知する人は、盲目的な権威 への信仰に身をささげているという別の偏見を引き起こします。この偏見が主張さ れることで、あたかもそれが指導的な人物に対する判断力のない崇拝者から成り立っ ているかのように思い、人はこのようなアントロポゾフィー協会を非難します。し かし絵画の美しさを感じ取るために自分自身が画家になる必要はないように、精神 の探求者が語る幅広い領域の内容を理解するために、自ら精神の探求者である必要 はありません。彼(精神の探究者)は自身が持っている能力によって、精神の本質 が生き、精神的出来事が生じている世界の前に進み出ているのです。彼はこの精神 的本質と出来事をよく見て、さらにその本質と出来事が、精神的なものから物質世 界に下りてくるのかをも見ているのです。 彼はそうして、自身の特別な才能に依存することなく、彼の直観の領域を、むしろ 通常の意識で事足りる理念へ形成する更なる課題を担います。この理念は、その理 念を自分の魂の中で生き生きとさせている誰にとっても、自らのうちに根拠をもち ます。人はこのような理念を単なる思考能力から形成するのではありません。精神 の直観をその(理念の)中へ刻印するときのみ、人はそれを形成することが可能に なります。それ(理念)はしかし、精神の探求者によってひとたび存在するならば、 誰もがそれを自己のうちに受けとめ、理念そのものからその根拠を見出すでしょう。 それを単なる盲目的な信仰によって受け取る必要は誰にもありません。多くの人が それでも、精神の探求者から理念の形式においてもたらされたものが、それ自身か らは理解できないと信じるとしても、それはこのような理解のための道を自ら遮断したことに起因するにすぎません。そのような人々は、感覚的な直観に支えられて いることにのみ証明可能であるという態度をとることに慣れてしまっており、理念 それ自体が相互に証明されうることに意味を見出さないのです。これは、すべての 重い物体が地上で支えられていることを知り、それゆえ、地球自体が宇宙でも支え られているに違いないと信じる人のようなものです。 いまや精神における直観へ到達した人は、見ることの成果を事前に理念の形式で受 容することなく、運命によって事前に定められています。すべてのほかの人にとっ て、この形式へもたらされる精神界の領域の理念の内容を理解することは、自分自 身を見ること(認識すること)へ到達するための必然的な前段階です。 もしこのような精神界のイメージをひとまず理念の形式として受け止めた後で、精 神世界を見ること(認識すること)を示唆していると人が信じるならば、再び偏見が 生じます。以前話しを聞いていただけの人を実際に見るとき、サジェスチョン(示 唆)について誰も語ることができないように、まず理性によって精神界を理解した 後で、あらゆる特性をもって現実に発生する精神世界の作用を知覚するとき、サジェ スチョン(示唆)について語ることはほとんどできないでしょう。 それゆえ一般的に、人間は精神の世界をまず理念形式によって知ることをしなけれ ばなりません。このあり方において普遍アントロポゾフィー協会の精神科学は擁護 されます。 しかし、理念の形式から、精神世界そのものから取り出される表現方法に上昇しよ うとする、精神世界の表現に参加したい人がいます。そしてそのような人々も自分 自身の魂によって歩むために、精神世界への道を知りたいという人もいます。 このような個人のために、シューレの三つのクラスが存在するでしょう。そして学 びの作業は、エソテリックのより高い段階へ絶えず上昇していくようになるでしょ う。シューレは参加者を理念の形式によって啓示され得ない精神界の領域へ導くで しょう。イマジネーション、インスピレーション(霊感)、イントゥイッション(直 観)のための表現形式を見出す必要性が彼らには生じます。 それゆえ、芸術的、教育的、倫理的生活などのそれぞれの領域が、エソテリックに よって照らされ、創造のための衝動を受け止めることのできる領域にまで導かれる でしょう。 「シューレ」の構成と部門への分節については、会報次号でお伝えしましょう。

2 会員への通信 1924 年 1 月 27 日

私たちは、魂たちがアントロポゾフィーを求めるところすべてに、ゲーテアヌムの 支部をつくるわけにはいきません。なぜなら私たちの協会はまだまだ力及ばずだか らです。 ゲーテアヌムから遠く離れている人々には、ゲーテアヌムで起こっていることにつ いて書面でお知らせしていくことによってのみ、私たちの仕事に参加してもらうこ とができます。この書簡のやりとりのし方については、今後お話しましょう。文書 でのやりとりを通すことで、ある期間そこで過ごすことのできないような個人でも、 ゲーテアヌムのクラスの参加者でありえるでしょう。加えてこの書簡のやりとりは、 ゲーテアヌムでの生活の指導者、あるいはそれに密接に関わっている人が様々な場 所で行う訪問によって可能なあらゆる場所で仲介されうるでしょう。 しかしこのこと全ては、「大学」がそのエソテリックな生活と共に進むべきである とき、真のアントロポゾフィーの精神によってしっかり結び付けられなければなり ません。 ゲーテアヌムの指導は、いかなる形であっても現代の精神生活から離れて閉じこも るべきではなく、この精神生活において、人類の真のさらなる発展のために啓示さ れるものすべてを十分な関心をもって待ち受けるよう努力しなければなりません。 それゆえ、指導は、個々の人が、現在すでに可能であり、また活発な作業によって 花開いていくことが期待されるような、それぞれの部門の管理を引き受けるように なされることでしょう。 この部門活動の中心にあるのは、普遍アントロポゾフィー部門であり、当分の間、 教育部門も組み込まれるでしょう。この部門の指導は私が行います。医学部門は、 アントロポゾフィーが医術を実り多きものにすることに力を注ぎます。指導はイタ・ ヴェークマン博士の手に委ねられます。医学は古来より人間の認識という中心的な 課題と密接な、精神的な関係をもっています。アントロポゾフィーは人間と医術の 関係を再びつくりだすことによって、人間の生きる力を明らかにすべきでしょう。 イタ・ヴェークマン博士の臨床・治療研究所において、この努力のための模範的機 関と実践的効果が生み出されています。 芸術的生命をアントロポゾフィーはとりわけその中心にすえています。私たちは、 この十数年のオイリュトミー芸術の育成によって、朗読・朗唱芸術の中に、新たに 芽生える芸術的生命を持っています。音楽的なものはそこに密接な結びつきをもっ ています。この芸術的生命の育成が固有の部門においてなされます。マリー・シュ タイナー夫人が献身的なあり方で、この生命と作用を結び付けました。 彼女はアントロポゾフィー協会自身の歴史からこの部門の代表に任命されています。

造形芸術は、ゲーテアヌム建築の光の中にあります。ここの地に発展していった中 心的な作業によって、ひとつの様式が展開されました。それが今日、多くの敵対者をもっていることは当然ともいえます。その様式は当然ながら、まずは不完全な形 で、その様式が望むものを表現することができただけでした。けれども、アントロ ポゾフィーが一般的に親しみをもたれるようになれば、その様式をよりよく理解で きるようになるでしょう。エディス・マリオン女史はこの建築の様式の育成にあたっ て、この彫刻的な芸術のための部門代表でなければならないようなあり方で、私を 助けてくれました。 かつては「美しい学問」という表象がありました。それは本来の学問と人間の創造 的なファンタジーの仕事との間に橋を架けました。私たちの現代は「学問」によっ て形成されてきたという見解は、「美しい学」を背後に押しやっていきました。 『ゲーテアヌム』において私はまず「美しい学問」について語りました。私たちは アントロポゾフィー協会において、「美しい学問」についてのすばらしい代表をも つという幸運に恵まれています:アルベルト・シュテッフェンです。彼は、「美し い学問」のための部門代表であるばかりではなく、文明という災いによって隅に追 いやられた人間の創造とを再び花開かせるために召命されています。 加えて私たちのなかで作業する人物をとおして、数学・天文学的な直観のための部 門を形成することが決められ、その指導はヴレーデ博士に、そして自然科学部門の 指導は、ギュンター・ヴァクスムート博士になるでしょう。アントロポゾフィーに おける天文の領域は、特に大切です。そして自然科学部門によって、いかに真の自 然の認識は矛盾ではなく、むしろアントロポゾフィーとの完全な一致であることが 示されることでしょう。彼によって刊行された図書によって、ヴァクスムート博士 は、この部門の正しい指導者として示されることでしょう。

3 会員への通信 1924 年 2 月 3 日

精神科学自由大学の設立は、大学が求めることに参加したいと思う人が、指導部に そのことを告げるべきでしょう。まず、第一クラスの設置が問題になります。さら なる二つのクラスについては、しばらく時間をおいてやってくるでしょう。参加者 に対してはクラスの分節だけが問題になります。部門は、個々のクラスにおける指 導がこれらのクラスの特別な努力に応じることができるよう設置されるでしょう。 人は何らかの部門の会員ではなく、つまりクラスの会員です。しかしエソテリック な深化をたとえば医学の領域で探し求める人は、医学部門の指導がそのための機関 に対して適切であることによって段階的にそれを見出すことができるでしょう。そ して様々な芸術的、学術的部門の指導もそうです。あるクラスに属するものとして、 ある特定の部門によって特別な目標に至ることは、シューレ全体の代表(ルドルフ・ シュタイナー)、および各部門代表との一致によって規定されるでしょう。
普遍アントロポゾフィー部門は、シューレに属するすべての会員のために存在しな ければなりません。 すでにそれゆえ、会員受け入れは部門ではなく、クラスへのみに生じます。 精神科学自由大学は、通常の大学ではありませんから、どこかの大学となんらかし らの点で競合しあうことに向かうわけではなく、またどこかの代わりを果たすわけ でもありません。通常の大学には見出されないものを、つまりエソテリックへの深 化をゲーテアヌムに見出すことができるでしょう。 魂がその認識への努力において探しかつ求めるものを、人はまさに保持するでしょ う。この認識への努力は普遍的、人間的なものです。精神界への魂の道を見出した いという、普遍的で人間的な欲求を持つ人にとって、普遍的アントロポゾフィー部 門がそこにあるでしょう。それは彼にとって「エソテリックなシューレ(学び舎)」 を形成するでしょう。彼の生活について、専門的な学問分野、あるいは芸術的な分 野で模索したいと願う人には、その道を示すほかの部門があります。こうしてそれ ぞれの探し求める人は、ゲーテアヌムの自由大学において、彼の生活の特有の条件 にしたがって歩んでいこうとするものを見出すでしょう。自由大学は純粋に学問的 な機関であるべきではなく、純粋に人間的なものです。それはしかし、学者や芸術 家のエソテリックな欲求にも完全に向かい合うことができる機関であるべきです。

4 会員への通信 1924 年 4 月 20 日

今、自由大学の普遍アントロポゾフィー部分(部門)のためになされる講演によって、感覚的世界と超感覚的世界との間の敷居の体験について展望が与えられるべき でしょう。本当に人間の認識を探し求める人には、自然界がどれほど美や偉大さや 崇高さを啓示するにしても、人間へと導くことはないことを見通すことは必要です。 なぜなら、内なる、外に創造する人間はその源泉を、自然の世界ではなく、精神の 世界にもっているからです。この(精神の)世界へはしかし、感覚や、脳に結ばれ た理性で入っていくことはできません。この(感覚の)世界は、人間が彼の根源の 世界に向かい合おうとするとき、作用することをまず停止しなければなりません。 しかしこの作用が止まるところ、人間はまず何かを知覚する無力さの前に立ちます。 彼は周辺の環境を見渡します。それが「無」であったとしても、知覚する能力がな いがゆえにそこに存在するものが闇として彼に現われます。この無力さは、精神を 見る力によって、人間が自らの内により高次な力を得て、ちょうど有機体の物質的 諸力が人間身体の感覚を形成するように、「精神の器官」が形成されることによっ てのみ、後退していくでしょう。
このことは、内なる人間の存在形式から他の存在形式へのまったき変容を前提とし ております。この変容にさいして、彼が他の(存在形式を)獲得する以前に、一つ の存在形式を失うことがあってはなりません。正しき変容は、「敷居」における正 しき諸体験の結果です。真の存在における人間の認識は、敷居を越えたところから の視点によってのみ可能です。敷居の彼岸からやってくる認識者の知らせを、健全 なる人間の理性で受けとめたいと思う人は、認識者が敷居において体験したことの 表象をも持つ必要があります。なぜなら、そうすることによってのみ、彼は超感覚 的なものを正しく判断する状態にあり、この超感覚的なものの認識が獲得される条 件をも知るのです。 観る人がこれらのことばを刻印する力をもつ以前に、実践したことを理解してはじ めて、人は超感覚的な直観の結果が語られる言葉に内実を与えることができるでしょ う。これを理解しないならば、あたかもこれらの言葉が超感覚的なものではなく、 感覚的なものを意味したかのように思うでしょう。そうするとしかし、混乱が生じ ます。言葉は偽りのものになり、認識の代わりに幻想が入り込みます。 これらの示唆によって、まず自由大学のエソテリックな作用が特徴づけられねばな りません。ゲーテアヌムでのクリスマス会議に限定された私たちの仕事は、ふさわ しい歩みがなされた暁には、その内実を会員は適切な形式によって受け取ることで しょう。ここでエクソテリッシュ(顕教的)に語られることを、シューレにおいて はエソテリッシュ(秘教的)に発展させてゆきましょう。

出典:
Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008, Dornach S.152-159
翻訳:石川恒夫

Ⅲ 精神科学自由大学 第一クラス

出典:Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S.31-36

訳:石川恒夫

II 精神科学自由大学 第一クラス

ヨハネス・キュール、セルゲィ・プロコフィエフ、ヴァージニア・シース

第一クラスの内容

精神科学自由大学は、第一クラスでの学びによって、その本質的な、精神科学的な内実を 獲得します。ルドルフ・シュタイナーはそのために1924年にゲーテアヌムで19回にわたる エソテリックな講義、いわゆる「クラッセン・シュトゥンデ」をもちました。さらに上記 の内容を再び取上げ、さらに展開する7回の講義時間、いわゆる「繰返し時間」があり、 また他の場所で数回のクラッセン・シュトゥンデをもちました。 これらの講義時間においては、マントラの言葉に凝縮される魂的・精神的な具体的状況 がそれぞれ語られ、これらの箴言を伴う、瞑想への示唆が与えられています。自由大学の 設立以前のルドルフ・シュタイナーのエソテリックな指導と異なり、これらの示唆は人生 の導きのための普遍的な規則に関わるものではありません。瞑想的な生活を形成すること は、自由大学の個々の会員に委ねられています。このクラッセン・シュトゥンデでの示唆 はむしろ、厳粛であることと、一つの言葉や箴言のまとまりによって表現されているそれ ぞれの気分や状況に対する適切な態度を求めるものです。 瞑想的に関わることによって、これらの箴言はマントラになり、そこにこめられた、精 神的・魂的現実を体験する入口を仲介します。第一時間における語りは、人間が自分の本 質、自我を探し求め発見しようとするものの、感覚世界にはそれを見出すことはできない という気分を示すことから始まります。この気分から、人間は精神界の敷居に向かい、「敷 居の守護者」との出会いに導かれます。それによって彼は一方では自らの存在に問いをた て、他方、自己認識のより深い層が明らかになってきます。震撼し鼓舞しつつ、精神的な 宇宙認識との関係において、自己発展のさらなる道が彼に開かれていきます。守護者は人 間に寄り添い、敷居を越えていきます。瞑想する人は、自己が精神的・宇宙的な状況のな かで体験することを学び、そこで精神的存在、ヒエラルヒアの存在と出会うことを学びま す。認識の道は最終の第19時間によって、人間の本質、自我がその精神的な根源のうちに 自己を知る地点に達するのです。そこから人間は再び敷居を越えてもどり、人間は強化さ れて、感覚世界における課題を果たしていきます。 それによって、意識魂の時代における自我のイニシエーションの道が語られています。 自己の生活と仕事を徹底的にアントロポゾフィーによって実り豊かにし、アントロポゾ フィーの代表者として立ち、探求の共同体の意味において共に働こうと決意した人間に、 その道は向けられています。

学びの方法について

ルドルフ・シュタイナーはクラッセン・シュトゥンデにおいて、ある規則を守ることに注 意を促しました。大学会員であることの決断をした人のみがそこに参加できました。つま り、自由に、徹底した精神科学的な瞑想の実践を行うこと、他の大学会員との共同作業を 探し求めること、自己の生涯においてアントロポゾフィーの代表者であることを決断した 人のみが参加を許されたのです。だからこそ、この講義時間を受けるために、入口で大学 会員証を提示する必要があるのです。加えてシュタイナーは再三、マントラを注意深く扱 うことを強調しました。これらは折に触れてスケッチや解説とともに、講義の間に黒板に 描かれ、出席者にとっては、個人的な使用(学び)のために保持されることが許されまし た。 ルドルフ・シュタイナーはこれらの規則を大変厳格に実行しました。彼はそれを精神的 に基礎づけられた合法則性と呼んでいます。ですから取るに足らない違反であっても、シュ タイナーは該当する会員を少なくともある期間、大学から締め出すことさえしました。そ こから人々は、大学の案件と関わる上で要請される意識と責任を認識したのです。これは、 個々の大学会員が、彼の瞑想的な学びとの関係において、正しく、助けに満ちていると見 なすものを、ルドルフ・シュタイナーの示唆の考慮と吟味を含めて、重大であると受けと めることを意味しています。さらに学びの基本条件には、大学指導部あるいはその代表と、 学びの方法について関係性を保つことがあります。大学指導部と大学会員との関係は、ル ドルフ・シュタイナーによるアントロポゾフィーの意味において、自由で、理念的・精神 的な契約関係とみなされます。アントロポゾフィー協会の個々の会員は、大学の指導部に 大学への受け入れ申請を提出することに対して自由であり、大学の指導部は、大学会員と して認知すること、またすでに存在している大学会員証を剥奪することに対して自由です。 最後にアントロポゾフィーの代表者であることは、大学会員がアントロポゾフィーやその 作用のためにのみならず、アントロポゾフィー協会のためにも力を尽くすことを意味して います。 マントラの箴言が、大学会員になることの決断をし、受け入れられた人にのみ与えられ たにも関わらず、それらはすでに1920年代とその後も再三、人の手に渡り、不適切なかた ちで出版されてしまいました。この理由から、ルドルフ・シュタイナー遺稿局は、ゲーテ アヌム理事会との協働において、注意を払った事前作業と存在する速記文字原稿の吟味を 経て、1992年にルドルフ・シュタイナー全集の枠内でテキストを出版することになりまし た。根本においては意図したものでも望んだことでもなかったのですが、ルドルフ・シュ タイナーによって仲介された精神的財産の確かさゆえに決心したこの歩みの後に、自由大 学の枠内では、第一クラスの内実を深く学ぶ形式が探し求められました。 講義時間内の解説を別にすれば、どういう形で、どの程度の頻度でマントラを学ぶべき かという、ルドルフ・シュタイナーによる詳細な示唆はありません。講義時間に参加でき なかった大学会員のために、ルドルフ・シュタイナーは各地の信頼のおける人に、箴言を 伝えることを委託しました。しかし私たちが知る限り、どのような形でこの仲介が行われ たか、その詳細はわかりません。この委託者はマントラだけをもっていて、講義時間の一 言一句を手にしてはいませんでした。なぜならルドルフ・シュタイナーは速記者であるヘレネ・フィンクに、講義時間の筆記を委託していたにもかかわらず、このテキストは明ら かに手渡すことや出版することを見込んでいなかったからです。
ルドルフ・シュタイナーの死後、今日に及ぶまで個々人の瞑想的な学びのほかに、本質 的に四つの様々な、そして互いに補いあう学びの方法が展開されています。

1.口述筆記によって継承されたルドルフ・シュタイナーの言葉が、そのために自由大学 の指導部から委託された「レクトール(クラッセン・レーザー、朗読者)」によって 読まれる。

2.いわゆる「自由時間」において、「レクトール」が、個々の学びからマントラについ て語る。

3.個々のマントラ、あるいはそのマントラの群、あるいはあるモチーフをより深めるための視点が講演で取上げられる。

4.話し合いのグループにおいて、内実を共に学ぶ。その場合、出来る限り確実な、真正な体験からなる対話が中心にあって、テキストを学び、検討することを主眼としないこと。

経験が示すことは、個々人の瞑想的な学びは、小さなグループでの学びによって豊かにな ることです。とりわけそこで瞑想のあり方、生じる困難や体験など助言を求めることがで きます。共有の学びの参加者は自ら、彼らと内実に相応しい学びの形式を発展していきま す。その場合、信頼と礼儀の充分な節度を構築していくことも問題です。

出典:
Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S.31-36
翻訳:石川 恒夫