Ⅲ 精神科学自由大学 第一クラス

出典:Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S.31-36

訳:石川恒夫

II 精神科学自由大学 第一クラス

ヨハネス・キュール、セルゲィ・プロコフィエフ、ヴァージニア・シース

第一クラスの内容

精神科学自由大学は、第一クラスでの学びによって、その本質的な、精神科学的な内実を 獲得します。ルドルフ・シュタイナーはそのために1924年にゲーテアヌムで19回にわたる エソテリックな講義、いわゆる「クラッセン・シュトゥンデ」をもちました。さらに上記 の内容を再び取上げ、さらに展開する7回の講義時間、いわゆる「繰返し時間」があり、 また他の場所で数回のクラッセン・シュトゥンデをもちました。 これらの講義時間においては、マントラの言葉に凝縮される魂的・精神的な具体的状況 がそれぞれ語られ、これらの箴言を伴う、瞑想への示唆が与えられています。自由大学の 設立以前のルドルフ・シュタイナーのエソテリックな指導と異なり、これらの示唆は人生 の導きのための普遍的な規則に関わるものではありません。瞑想的な生活を形成すること は、自由大学の個々の会員に委ねられています。このクラッセン・シュトゥンデでの示唆 はむしろ、厳粛であることと、一つの言葉や箴言のまとまりによって表現されているそれ ぞれの気分や状況に対する適切な態度を求めるものです。 瞑想的に関わることによって、これらの箴言はマントラになり、そこにこめられた、精 神的・魂的現実を体験する入口を仲介します。第一時間における語りは、人間が自分の本 質、自我を探し求め発見しようとするものの、感覚世界にはそれを見出すことはできない という気分を示すことから始まります。この気分から、人間は精神界の敷居に向かい、「敷 居の守護者」との出会いに導かれます。それによって彼は一方では自らの存在に問いをた て、他方、自己認識のより深い層が明らかになってきます。震撼し鼓舞しつつ、精神的な 宇宙認識との関係において、自己発展のさらなる道が彼に開かれていきます。守護者は人 間に寄り添い、敷居を越えていきます。瞑想する人は、自己が精神的・宇宙的な状況のな かで体験することを学び、そこで精神的存在、ヒエラルヒアの存在と出会うことを学びま す。認識の道は最終の第19時間によって、人間の本質、自我がその精神的な根源のうちに 自己を知る地点に達するのです。そこから人間は再び敷居を越えてもどり、人間は強化さ れて、感覚世界における課題を果たしていきます。 それによって、意識魂の時代における自我のイニシエーションの道が語られています。 自己の生活と仕事を徹底的にアントロポゾフィーによって実り豊かにし、アントロポゾ フィーの代表者として立ち、探求の共同体の意味において共に働こうと決意した人間に、 その道は向けられています。

学びの方法について

ルドルフ・シュタイナーはクラッセン・シュトゥンデにおいて、ある規則を守ることに注 意を促しました。大学会員であることの決断をした人のみがそこに参加できました。つま り、自由に、徹底した精神科学的な瞑想の実践を行うこと、他の大学会員との共同作業を 探し求めること、自己の生涯においてアントロポゾフィーの代表者であることを決断した 人のみが参加を許されたのです。だからこそ、この講義時間を受けるために、入口で大学 会員証を提示する必要があるのです。加えてシュタイナーは再三、マントラを注意深く扱 うことを強調しました。これらは折に触れてスケッチや解説とともに、講義の間に黒板に 描かれ、出席者にとっては、個人的な使用(学び)のために保持されることが許されまし た。 ルドルフ・シュタイナーはこれらの規則を大変厳格に実行しました。彼はそれを精神的 に基礎づけられた合法則性と呼んでいます。ですから取るに足らない違反であっても、シュ タイナーは該当する会員を少なくともある期間、大学から締め出すことさえしました。そ こから人々は、大学の案件と関わる上で要請される意識と責任を認識したのです。これは、 個々の大学会員が、彼の瞑想的な学びとの関係において、正しく、助けに満ちていると見 なすものを、ルドルフ・シュタイナーの示唆の考慮と吟味を含めて、重大であると受けと めることを意味しています。さらに学びの基本条件には、大学指導部あるいはその代表と、 学びの方法について関係性を保つことがあります。大学指導部と大学会員との関係は、ル ドルフ・シュタイナーによるアントロポゾフィーの意味において、自由で、理念的・精神 的な契約関係とみなされます。アントロポゾフィー協会の個々の会員は、大学の指導部に 大学への受け入れ申請を提出することに対して自由であり、大学の指導部は、大学会員と して認知すること、またすでに存在している大学会員証を剥奪することに対して自由です。 最後にアントロポゾフィーの代表者であることは、大学会員がアントロポゾフィーやその 作用のためにのみならず、アントロポゾフィー協会のためにも力を尽くすことを意味して います。 マントラの箴言が、大学会員になることの決断をし、受け入れられた人にのみ与えられ たにも関わらず、それらはすでに1920年代とその後も再三、人の手に渡り、不適切なかた ちで出版されてしまいました。この理由から、ルドルフ・シュタイナー遺稿局は、ゲーテ アヌム理事会との協働において、注意を払った事前作業と存在する速記文字原稿の吟味を 経て、1992年にルドルフ・シュタイナー全集の枠内でテキストを出版することになりまし た。根本においては意図したものでも望んだことでもなかったのですが、ルドルフ・シュ タイナーによって仲介された精神的財産の確かさゆえに決心したこの歩みの後に、自由大 学の枠内では、第一クラスの内実を深く学ぶ形式が探し求められました。 講義時間内の解説を別にすれば、どういう形で、どの程度の頻度でマントラを学ぶべき かという、ルドルフ・シュタイナーによる詳細な示唆はありません。講義時間に参加でき なかった大学会員のために、ルドルフ・シュタイナーは各地の信頼のおける人に、箴言を 伝えることを委託しました。しかし私たちが知る限り、どのような形でこの仲介が行われ たか、その詳細はわかりません。この委託者はマントラだけをもっていて、講義時間の一 言一句を手にしてはいませんでした。なぜならルドルフ・シュタイナーは速記者であるヘレネ・フィンクに、講義時間の筆記を委託していたにもかかわらず、このテキストは明ら かに手渡すことや出版することを見込んでいなかったからです。
ルドルフ・シュタイナーの死後、今日に及ぶまで個々人の瞑想的な学びのほかに、本質 的に四つの様々な、そして互いに補いあう学びの方法が展開されています。

1.口述筆記によって継承されたルドルフ・シュタイナーの言葉が、そのために自由大学 の指導部から委託された「レクトール(クラッセン・レーザー、朗読者)」によって 読まれる。

2.いわゆる「自由時間」において、「レクトール」が、個々の学びからマントラについ て語る。

3.個々のマントラ、あるいはそのマントラの群、あるいはあるモチーフをより深めるための視点が講演で取上げられる。

4.話し合いのグループにおいて、内実を共に学ぶ。その場合、出来る限り確実な、真正な体験からなる対話が中心にあって、テキストを学び、検討することを主眼としないこと。

経験が示すことは、個々人の瞑想的な学びは、小さなグループでの学びによって豊かにな ることです。とりわけそこで瞑想のあり方、生じる困難や体験など助言を求めることがで きます。共有の学びの参加者は自ら、彼らと内実に相応しい学びの形式を発展していきま す。その場合、信頼と礼儀の充分な節度を構築していくことも問題です。

出典:
Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S.31-36
翻訳:石川 恒夫