精神科学自由大学のエソテリックな構成 – 後半

出典:Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008, Dornach S.122-124

翻訳:石川恒夫

精神科学自由大学のエソテリックな構成 – 後半

ミヒャエラ・グレックラー
Michaela Glöckler

未来への展望

ルドルフ・シュタイナーの早すぎる死によって、自由大学を構築するというすでに 見込まれていたいくつかの歩みは実行されませんでした。私たちはしかしそれにも かかわらず、彼の構想に基づいて、そしてクリスマス会議によって与えられたこと から、たとえ萌芽的であろうともすべての資質をもっていることを知るのです。自 由大学をこれからさらに強化することについては僅かな示唆しかないので、さらな る仕事のための視点と態度は、それぞれのさらに前進させようとする思考をいんぎ んに控えることから、具体的な作業の試みに続くイニシアチブにまで及んでいます。 ゲーテアヌムの大学コレギウムには、自由大学に新たなクラスを つくることに対 するイニシアチブは今のところないとしても、これらの可能であろう作業のきっか けを私はここに描写したいと思います。それは三つのクラス が、精神生活におけ る三つの中心的な学びの方向―学問、芸術、宗教―と関係をもつことに基づいています。
イタ・ヴェーグマンはルドルフ・シュタイナーによって第一クラスの指導に任命さ れました。彼女は特に医学分野では極端に推し進められてしまい、人間を直接おび やかしている物質主義を克服しようとする課題を担っていました。医学の領域に精 神性を導入し、アントロポゾフィーをすべての医学的認識と仕事に導くことが彼女 の課題だったのです。第一クラスの各時間のイマジネーション、ことば、スケッチ は、学問を支配する物質主義による、意識の深い傷つけを克服するための道を示し ています。問題なのは認識の道であり、精神科学の道です。それは前述(会報48号 参照)した≪火の試練≫で頂点に達することです。この≪火の試練≫の及第は、見か け(Schein)と存在(Sein)の区別をもたらし、それによってそれぞれの学問の目標に なります。認識の勇気、火、創造の力が問われるのです。 第二クラスに結ばれた課題を示唆するために、1911年の「テオゾフィーのアー トと芸術のための協会」設立の衝動と、「神秘劇」の芸術的な仕事を見ることが助 けになるでしょう。ここで問題なのは、精神的・社会的な能力の育成、社会的―芸 術的なもの、運命の形成の秘密、そしてカルマを厳粛に受け止めることです。つまり人間は他者の運命の刻印や模索と、ともに作用することを学びます。神秘劇で神 殿のシーンが示すことがあてはまるでしょう:つまり、人間の運命がいかに賢明に 秩序付けられているか、人間にとって自らの運命に意識的に向かいあい、社会的問 題に直面して方向性を失わないことがいかに難しいかということです≪水の試練≫。 会員への手紙のなかで、ルドルフ・シュタイナーはそのために必要な道徳的な技術 のことを記しています。この書簡を私は、神秘劇と同様に、第二クラスの仕事の質 を学ぶための素材とみていす。
第三クラスの仕事のインパルス(衝動)は もっと深いところにあります。僅かな示 唆から、ここでは現実的に実行するなかで明らかになるであろう、文化的―宗教的 な仕事が問題であることが推測されます。そこでは人類と世界の関係がアントロポ ゾフィー運動の課題として立ち、それらがいかに決定的に奉仕されうるかが問われ ます。テーマとして、いわゆる「ミヒャエル書簡」が本質形成のための展望を示し てくれています。時代にふさわしいインスピレーション(霊感)とイントゥイッショ ン(直観)を受け入れることは、それによって準備されうるでしょう。直接に、もっ ぱら精神の現実として、「ミヒャエルの奉仕において生き、行動する」≪大気の試 練≫の質はそうして育まれるのです。
このような未来への展望を育てることは、今日、第五、第六、第七後アトランティ ス文化期のポジティブな発展のために配慮されることに私が貢献できるよう、私の 中でつくりかえられ、作業されなければならない問いが燃え立つとすれば特に大切 です。明らかなことは、第一クラスの学びがもっぱら、現代の第五文化期において 問われている文化的課題の克服―物質主義的な学問や世界観がもたらす破壊的な結 末の認識と克服―に捧げられているということです。第二クラスのモチーフを、私 は共同体形成と兄弟愛のプロセスが文化を規定していくであろう、そのような時空 間として第六文化期を準備することとの関連において見ています。構想された第三 クラスの仕事の衝動はそれに対して、第 七文化期の課題を先取りするものです。こ こでは「あらゆるものに対するあらゆる戦い」を、個々人を意識的に人類全体へ導 きいれることへ変容することの可能性が問題です。 精神科学自由大学の課題は、様々な職能や生活形式に対して、できるだけ多くの人々 が偉大な人類の課題の中に現実に立つということを実現できるような道を見出すこ とです。「意識的な修行」による、そして「生活による秘儀参入」の質を、未来に 希望をもつ文明の発展の基礎にすることが問題なのです。

出典:
Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008, Dornach S.122-124
翻訳:石川恒夫