Ⅳ 精神科学自由大学の諸部門/教育部門

出典:Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S.73-77

訳:石川恒夫

教育部門
Pädagogische Sektion

クリストフ・ヴィーヒェルト
Christof Wiechert

歴史のスケッチ

1923年のクリスマス会議において、普遍アントロポゾフィー協会は、アントロポゾフィー 運動とアントロポゾフィー協会が一緒になることによって新たに設立されました。その中 心に、精神科学自由大学は生まれました。その探求は様々な生活領域に向けられており、 普遍アントロポゾフィー部門から霊感を受けるものです。生活領域の一つは教育です。こ の部門のために、ルドルフ・シュタイナーは部門代表を指名しませんでした。なぜならシュ タイナーは、この部門を普遍アントロポゾフィー部門とともに自ら指導しようとしたから です。 そのときまでに、精神科学的に模索した教育芸術の具体的な示唆はすでに存在したので しょうか。1907年にシュタイナーはささやかな本を出版しています。『精神科学の観点から見た子どもの教育』です。それはわずか35ページながら、教育芸術の全宇宙を萌芽とし て含んでいるものです。この書籍には以下のような文章がみられます。「精神科学は、教 育芸術の構築のために駆り立てられるならば、ここで考察されることに関して、個々の食 べ物や嗜好品に至るまですべて明らかにすることができます。」この1907年の呼びかけが、ヴァルドルフ・アストリアのタバコ会社社長エミール・モルトの耳に届くまでに12年 かかりました。1919年9月7日にシュトゥットガルトに最初のヴァルドルフ学校が誕生しま した。それは最初の教師のための「普遍人間学」、「方法論的・教授法」、「ゼミナール 問答」(GA293-295)の講座が終了して二日後のことでした。 クリスマス会議までに、この種の学校がさらに二つ誕生しました。一つは1921年2月1日 にドルナッハに誕生した「フリートヴァルト・シューレ」であり、「ゲーテアヌムの実科 学校」として、7人の子どもと3人の教師とともに始まりました。シュタイナーによる芸術 的な授業のための多くの示唆を得たこの学校は1956年まで存在しました。もう一つの学校 は1923年9月にオランダのデン・ハーグに設立された「フリー・スクール」であり、クリ スマス会議で報告されるべきものでありました。なおこのクリスマス会議の間に、シュタ イナーとスイスの教員グループとの間で話し合いがもたれ、さらなる学校設立がいかにな されるべきかが話し合われました。

エソテリック(秘教的)な基礎

すでに1907年の『(精神科学の観点からみた)子どもの教育』において、ルドルフ・ シュタイナーは「生成する人間の本性を認識したければ、人間の隠された本性の考察から 出発しなければならない。」と記しています。この一文は1917年に本質的、かつ劇的な深 化を見せます。『外界の精神的背景』(GA177)のなかの様々な講演において、未来の教育 の課題が取上げられています。そこでは人間の身体性がもはや魂と並行して発展しないこ とが提示されています。なぜなら「個性はもはや身体との内密な関係にないからである。」 「もしも今日、人間を外的に存在するものに従って考察するならば、一つの映像が得られ る。もしも人間を直接外的に存在しないものに従って考察するならば、別の映像が得られ る。これらの映像が今日すでに一致することはなく、ますます一致しなくなっていく。」 それに連続して教育の課題が描かれています。即ち、未来の教師は、「透視する存在」で あるような子どもたちとの関係を発展させなければなりません。教師は「予言にいたるま で、教育を受ける者から望むものの映像を獲得しなければならない。」 教育の作用は、今日という日にのみ奉仕すべきではなく、その人の生涯に奉仕するべき です。学校時代に体験したことの思い出は、物事をつくりあげる力の生き生きとした源泉になるべきです。教育 芸術を形づくる「精神科学が召集されたとき」、ルドルフ・シュタイナーは1919年から開 かれた壮大な教育講座の中で、これがいかに本当に成就されるべきかを、詳細にわたって 示唆しました。これらの内容を細かくみていくと、畏敬の念を引き起こすような、全く新 たなことを始めたことが浮き彫りにされます。どのような委託からこれらの行為が生じた のか、人はただ予感することができるでしょう。例えばルドルフ・シュタイナーが『普遍 人間学』の冒頭(第一講義1919年8月21日)に語ったことにそのことがみてとれます。 「この意味において、私は先ず最初に何よりも深い感謝の念を捧げたいと思いますのは、 私たちの愛すべきエミール・モルト氏を導き、ヴァルドルフ学校創設という事業を通じて、 人類の進歩発展に寄与しようという良き考えを氏に生じさせた「善意に満ちた霊たち」に 対してなのであります。人類を危機と悲惨より救済し、授業と教育とによって一層高発展 の段階へ導こうとしている善意に満ちた霊たちの名において、私は彼らに深い感謝の念を 捧げたく思うのです。」

部門の課題と作業形態

部門の中核的な課題は、教育芸術の探求にほかなりません。例えば『普遍人間学』を学ん だ人は、この学びだけでは有能な教師になれるわけではないことに気付くでしょう。なお 別のあり方の理解が必要であり、この内容と別様に関わることが必要になります。読者がただ彼の思考器官においてのみとらえるのではなく、全人間で触れるようなあり方です。 認識や感情を伝えることが始まり、変容への欲求が生じます。いかに人は、身につけたこ とを生きるのでしょうか。恐らく人はここ、あそこで、およそ練習、回顧、集中力の練習 などの形をとって試みることを始めるでしょう。おそらく、ある種の体系をもって練習し、 いずれにせよ他者との交流において、そして体験するでしょう:教師への道は、練習して いくことです。しかし教師という存在もまた、絶えざる練習をとおして自分自身の発展を 要請するのです。 このことを部門は仲介したいと願っています。子どもは生成する人間です。そしてそれ はやはり生成する人間によってのみ教育されうるのです。そのような人間のもとで子ども は例えば、生成するものを体験し、みずからそれと共に添いたいと願うでしょう。部門は この生成するもののきっかけを提示するよう努めています。『普遍人間学』という基本文 献をともにしつつ、部門はここにその主課題を見出すのです。 勿論そこから、副次的な研究行為の舞台が生じることは自明のことです。教育会議、子 ども会議、上級学年の授業方法の問題、自己管理、社会的能力、これらは常に作業を必要 とする課題領域です。 教育芸術は主にヴァルドルフ学校、ルドルフ・シュタイナー学校に受肉し、今日、世界 中への広がりをみせているため、国際的な協働も課題の一つです。そのためにこの協働を 可能にする機関が生み出されています。世界中で学校運動のために活動している「教育芸 術の友」(の会)があげられます。また「ハーガー・クライス」は、国際的なヴァルドル フ学校の会議として理解されます。このクライスはまた、4年ごとにゲーテアヌムで行わ れる世界教師会議、教育会議のテーマに対する責任も担っています。 国際的な学校運動の仲間から構成される部門コレギウムが部門代表をサポートします。 ゲーテアヌム理事の代わりに、教育部門は「国際宗教教師委員会」との協働において、毎 年開かれる「宗教教師会議」を主催します。課題と研究の一部は、世界中の学校運動から の報告とともに年4回刊行される「部門回覧誌」《二ヶ国語》にまとめられ、全ての学校 と教員ゼミナールに送られています。

文献:
Rudolf Steiner: Die Erziehung des Kindes vom Gesichtspunkute der Geisteswissenschaft, GA34 Rudolf Steiner: Allgemeine Menschenkunde als Grundlage der Padagogik, GA293 Rudolf Steiner: Die gesunde Entwicklung des Menschenwesen, GA303 Rudolf Steiner: Konferenzen mit den Lehrern der Freien WaldorfSchule 1919-1924, GA 300 a-c

出典:
Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S. 73-77
翻訳:石川 恒夫