Ⅳ 精神科学自由大学の諸部門/農業部門

出典:Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S.89-95

訳:石川恒夫

農業部門
Sektion für Landwirtschaft

ニコライ・フックス
Nikolai Fuchs

生命の農業 生物学的-力動的

1924年に開かれたルドルフ・シュタイナーによる「農業講座」のなかで基礎付けられたも のを包括する「農業」の概念を捜し求めるならば、「生命の農業」という概念が提示され るだろう。「生物学的」もしくは「生物学的-力動的」農業は、「生命」との関係を示す ものではあるが、それに対して、因習的な-化学的・技術的に向かう-農業は、狭義の意 味において「非生物学的」というわけではない。しかし同時に、今日「ビオ(バイオ)」 の概念は、自然成長資源の産業(バイオ・ディーゼル)と同様に、ライフ・サイエンス産 業(遺伝子操作産業)によっても「バイオ・テクノロジー」として用いられている。「エ コロジカル」な農業という概念は、今日、多かれ少なかれ、素材とエネルギーの流れを支 える循環経済の意味合いだけをもっている。それに対して、「生命(の)農業」の概念は、 断固として、農業が生命/いのちと包括的な意味において関わることに注意をはらうもの である。それは因習的な農業においてもっぱら行われている機械的・産業的なアプローチ を減らしていくことを目に見えるようにすることである。生命は、その現実と関わるため に、少なくとも有機物の手がかりに従って呼び起こされる。
農業を有機体とみなすことは、「農業講座」における原モチーフである。ここでは、農 業が一種の「個体」として、つまり自己完結した個性として取上げられうるとき、農業の 本質を最もよく正当に評価していると語られる。この視点に発展、意識、恐らくは自己規 定、あるいは自律性といった更なる生活の次元が結びつく。それらは明白に自己のエソテ リックなレベルへの問いを自らの内に担うものである。「生命」は、アントロポゾフィー 的な質をもつ農業のための鍵となる次元であり、この農業は霊的な生活を深く理解しよう とするために呼びかけると理解される。それをアントロポゾフィーが提供するように。恐 らく、ヨーロッパの農業政策は、多機能的な農業について語る時、むしろそのような次元 を探し求めているのである。

エソテリックな基礎と発展の輪郭

エソテリックな基礎に関連して、農業講座の参加者―それは主に農業従事者であり、他の 職業の人もいたが―にとって、「テオゾフィー」(GA9)、「神秘学概論」(GA13)の 知識はいわば義務であった。今日の農業従事者にとって、アントロポゾフィーの文献の「規 範」には、さらに「魂の暦」、「ミヒャエル書簡」(GA26)、及び関連する一連の講演 「共鳴としての人間」(GA230)、さらに「国民経済講座」(GA340)が該当する。生物 学的・力動的農業をめぐる人々の小さなサークルは、一部は自然科学部門とともに、クラッ セン・シュトゥンデのマントラを大切に育んでいる。また北ドイツのハノーヴァー近郊マ リーエンシュタインの農家であり、「農業講座」の共催者であったエルンスト・シュテー ゲマンのために、ルドルフ・シュタイナーによって与えられたメディテーションがある。 それは多くの農家のサークルによって育まれているものでもある。また穀物の種のメディ テーションも、多くの農家にとって大きな意味をもつものである。 農業のような実践的な生活領域にとって恐らく特徴的なのは、ある種の「日常のエソテ リック」をつくりだすことである。それゆえ今日、生物学的・力動的グループにおいて、 そう、勿論、「エーテルの作用」や「形成力」について語ることは珍しいことではない。 「エーテル的なもの」はまさに、多くの生物学的・力動的実践者にとって、一つの現実領 域となった。方法論的には、「行為から認識へ」というモットーが有効である。つまり、 多くの事柄は、それを生き、実践し、そして省みることによって、内実としてはじめて知 ることになる、ということである。調剤の存在は、その良き例である。生物学的・力動的 調剤は―それはハーブ類、肥料、珪素の調合などを少量コンポストに加えるか、リズミカ ルに攪拌させて、畑や植物に噴霧する―それをまず一度無条件につくってみて、用いて、 その効果を直接体験して、そして何が生じたのかを熟慮する人々に、その意味を明らかに する。「瞑想者としての農民」は、今日むしろ、至る所で立てられ、また部門の核心的な 問題である「瞑想的な生活は、ますます大きな負担を強いる日常というものといかに結ば れうるのか」という恒常的な問いに対する一つの理想像である。
農業部門は、ルドルフ・シュタイナーによって他とは多少異なるコンセプトをもったと いう限りにおいて、自由大学における諸部門の集まりの中では特殊な立場を示す。すでに1924年の講座が開かれている間に、「アントロポゾフィー農業の試行グループ」が形成さ れている。この試行グループは当時においては、農業に関わる諸問題と取り組んでいた農 夫たちの普通の連合であった。ルドルフ・シュタイナーはそれに対して、この「グループ」 がいわばシャム双生児のようにドルナッハとともに協働すべきであることを求めた。ドル ナッハに戻り、伝えられているところによると、ルドルフ・シュタイナーは当時、医学部 門代表であるイタ・ヴェーグマンにおもむき、農業部門をも担うことができないかたずね た。ヴェーグマン女史はしかし、仕事の過剰さゆえにそれを断り、ルドルフ・シュタイナー はさらに自然科学部門代表であったギュンター・ヴァクスムートにさらに問いかけ、彼に この課題を委ねることになったのである。1920年代初頭、エーレンフリート・プファイ ファーという一人の協働者がグラスハウスにおり、農業の諸問題ともっぱら取り組んでい た。こうして、なかでも最初の調剤が用意された。戦争の混乱の後、農民たちの小さなグ ループが形成され、ゲーテアヌムでの農業会議が開催された。それと並行して、農民たち によって担われていた「試行グループ」は、より学問的な刻印を受けた「研究グループ」 へ変質していた。「(試行)グループとドルナッハ」の関係は、その意味においてメタモルフォーゼを遂げていたのである。1950年代終りに、自然科学のための一人の部門代表、 生物学者ヨッヘン・ボッケミュールが招聘され、彼がたえず農学をも視野に治めていた。 そして1963年に、栄養と農業のための部門がゲルハルト・シュミットを代表として設立さ れた。1970年からは、自然科学部門の一つのジャンルとしてヘルベルト・ケップとマンフ レッド・クレットによって2001年まで導かれ、2003年から再び独立した部門として活動を 行っている。
生物学的・力動的農業における認識の獲得のために、長い時間がかかった。―学術的に もアントロポゾフィー的にも拡張された自然科学が、その自然科学的方法をもって取り組むテーマを農業が提示したことは、恐らく20世紀の一つの「印」とみなされる。たしか に、生命探求の方法論的な革新は、生命の農業それ自身が出発点となることを、ますます 知らしめている。
こうして、農業という活動領域の革新と貫徹に対する精神の委託は、今日の農業の生活 領域を拡大し、農業の認識を深める現在の部門の責任の視点から、学問的・方法論的に農 業そのものの生活領域における生命の手がかりを得ることにある。この手がかりは、固有 の視点を農業の実体に典型的ではないが一般的な機械化や工業化に対置させるか、または 生命の農業の実りを促進できるように、農業に霊感を吹き込むことができるかどうか、そ の結果を示さなければならないだろう。

生物学的・力動的運動の生活領域

生物学的・力動的運動の生活領域に関わる全ての施設、団体(生物学的・力動的連盟、デ メター連盟など)について、部門はゲーテアヌムの自由大学の一部として、精神的-コン セプチュアルなコンテクストの多くに義務を担っていると感じている。こうして、代表者 グループ(30カ国70名からなる)をとおして、生物学的・力動的な全体の運動をたしか め、維持する意識を共有している。様々な国を訪れることで、グループによってさらにそ れが強化される。運動の精神生活のために、毎年、代表者グループにおいて、年間テーマ が設定され、年に3回発刊される回覧書簡、そしてその頂点として、毎年開催される農業 会議(約600-700名の参加)があげられる。加えて部門の協働者は、今日的な時代の問いがアントロポゾフィー協会にも流れ込むように、BSE、鳥インフルエンザ、遺伝子組替え 技術といった今日的な問題とも取組んでいる。 立ち向かっていかなければならないことは、農業がますます政治的・経済的な規制に従 属させられ、量的な構造の変革に従わざるを得ないというところにある。経済的に引き締 められた時代において、ますます仕事の内的側面が、充分擁護されることが困難なものと なっている。同時に問いや問題はより大きくなっているが、しかしそれを注意深く解きほ ぐすための手段がしばしば欠けている。現代のテンポの速い時代においては、長期間の基 礎作業よりも、短期の、応用可能な成果が期待されるものである。この事態を、部門はい つも意識的に、肯定的な挑戦に向けるべきと考えている。そうして生物学的・力動的な運動のなかで、過去数十年をとおして、自主的な種苗の品種改良が生れた。それは今日、遺 伝子組替の危険に対する最善の答えである。農場の経済的な危機もまた、いかに別様に経 済活動が展開できるかという、新しいイデーをもたらした。このような諸視点を、部門は、 日常の実践に対する背景の知識を提供するために、様々なプロジェクトの中で取上げてい る。この種の挑戦を実現するためには、部門のつながりが不可欠であり、この場合、社会 科学部門との協働がなされた。また他の部門(教育、医学)とともに、農学部門は、より 高度な規制の密度が、独特な生活領域の自由な職能の実践を間接的にいつも困難なものに している「ブリュッセル」の誘発に対して、アントロポゾフィーの職業連盟(ELIANT) である共同の職業領域を横断する連盟(アリアンツ)を支援するために、一つの触媒を形 成する。

革新のディメンジョン

エコロジカルな耕作全体において、しかしまた、生物学的・力動的な農業においてもまた、 内容をもった革新要因の欠如が非難される。パイオニアからの継承において、しばしば、 もはや充分な革新力が体験されていない。新しい大きな構想の中で革新を探し求めるより は、個々人の中で潜在可能性として革新を体験できるように向かわせることは、私たちの 部門の課題とみなされるだろう。同時に革新は生活のなかでも表明できるようにならなけ ればならない。そのために、ブリュッセルにおける農業法規定であろうとも、枠組条件の 影響を受けなければならない。部門、あるいは自由大学の社会的責務は、「固有の確かさ」 にのみ奉仕するべきではなく、社会の前進のためにも貢献すべきである。こうしてみると、 部門は、内的深化のための「空間」と、個々のイニシアチブが広がっていけるような、よ り大きな社会的な空間における「風土」をつくりだすものでありたい。「ドルナッハ」と ともに、公的社会的課題の代理でもある「ブリュッセル」によって、二つの定点が与えら れており、そこに出会いと活動の可能性をもった幅広い領域が広がっている。 生命の農業はさらに拡がっていかなければならない。これが目標である。

文献:
Rudolf Steiner: Geisteswissenschaftliche Grundlagen zum Gedeihen der Landwirtschaft, GA327

出典:
Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S.89-95
翻訳:石川 恒夫