Ⅳ 精神科学自由大学の諸部門/社会科学部門

出典:Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S.103-108

訳:石川恒夫

社会科学部門
Sektion für Sozialwissenschaften

パウル・マッカイ
Paul Mackay

研究領域と認識方法

ゲーテアヌム・社会科学部門の活動領域は、人間相互の関係の領域として記述されうる でしょう。これらの諸関係が探求され、形成されます。その場合、社会生活の三つの領域 が区別されます。
能力をもった存在としての人間が効力を発揮する精神生活。社会生活のこの部分において 行為の領域を見出す学問は、なかでも社会学、民俗学あるいは文化人類学、社会教育学、 社会心理学、社会倫理学です。精神生活は個々の人間から出発しますが、人間と人間との 間の関係の広がりに向かいます。それぞれの社会形象は、家族の中の家族文化、あるいは 企業の中の企業文化のように、それぞれに相応しい文化をもっています。 成人としての人間が活動するところの法的生活。この領域において、その活動の場を見出 す学問としては、主にして法学、政治学です。法生活は地上の諸関係の秩序に関わってお り、人間と人間の諸関係に関わるものです。 何かを欲求する存在としての人間が出現する経済生活。この領域においてその活動の場を 見出す学問としては、経済学、国民経済学、企業経済学です。ここでは他者のために行為 することが問題となります。
社会科学の方法は特殊です。なぜなら、社会生活は静的なものではなくて動的なものだ からです。それは理論的な側面と実践的な側面をあわせもち、つまり、何であるか(認識)ということと、どういう作用が及ぶのか(行為)ということと関わるということです。探 求と造形がそれによって一つの関係に合流し、社会的な現実を特徴づけていきます。認識 要因と形成要因をそれぞれ研究に導くことによって、この社会科学は、社会的・芸術的意 味を求めるのです。

倫理的質の強化―そして社会能力

精神科学自由大学においては特に、社会科学の秘教的(エソテリック)な基盤を求めるこ とが重要となります。同時に倫理的な質の強化と、それとともに社会能力が実現されない ならば、より高次な認識方法(イマジネーション《映像》、インスピレーション《霊感》、 イントゥイッション《直観》)が獲得されえないということが意味をもちます。この点に 関してルドルフ・シュタイナーは以下の関係について言及しています。「人間の倫理的生 活の形成は、彼の倫理的洞察に、他者に対する倫理的理解に、そして倫理的力に係ってい る。イマギナティーフな直観は、倫理的な洞察の基盤の上に、インスピレーション(霊感) に対する受容性は倫理的理解における行によってのみ、そしてイントゥイッション(直観) は倫理的力の擁護によってのみ発展されうるものである。それゆえ、伝えられたイマジネー ションは、それを受けとめる人にあって、倫理的洞察への関心を、インスピレーションは 倫理的理解への関心を、イントゥイッション(直観)は倫理的力の解放への関心をそれぞ れ引き起こすことに至るのである。」 社会科学においては、人間の諸関係の領域が問題になるがゆえに、この領域の探求と形 成においては、協働作業も重要な役割を演じます。ルドルフ・シュタイナーは宇宙的叡智 を「より高次なヒエラルヒアの相互の行動ルールである」と特徴づけています。互いに振 る舞い、互いに存在しあうように行為すること、それが宇宙的叡智である、と。社会科学 においてはまた、新たに生じる人間同士の諸関係によって、「新しい」叡智、普遍的・人 間的叡智が生じうることも大切です。その叡智とは個々の叡智の総和以上のものであり、 精神界との関係にあるものです。

社会的、カルマ的現実における自我

同時に現代の社会科学においては、一種の自我の神秘に向かっていくことも大切です。私 たちは意識魂の時代に生きています。これは人間がおのずと反―社会的な欲求(衝動)を 発展させることを生じさせます。この衝動は強化された他者への関心によって、そして適 切な社会形成によって調和を取るようにしなければなりません。1918年12月12日の講演 (GA186)においてルドルフ・シュタイナーは二つの行(練習)を示唆しています。
―自分と他者との間に何が生じたかという問いをもって、ときどき自分の人生を省みること。そして、時の流れのなかで影響を及ぼした他者の鏡の中に自己を見出すことを試み ること。それによって他者を映像的に(イマギナティーフに)自らのうちに復活させる可 能性が生じる。
―自分自身絶えずより客観的になるように試みること、自分自身を異質な存在としてイメージすること。それによって人間は自身の過去から解放されて、自分自身についてのイマジ ネーションを獲得する。
イマギナティーフな(映像的な)認識能力が発展するようなこの二つの行に基づいて、彼 のカルマ的な、それによって社会的な現実の中で固有の自我を見る可能性が生まれてきます。 最終的に、私たちがただ意識魂の時代に生きているのみならず、1879年に始まりおよそ350年続くといわれる ミヒャエルの時代にも生きているのだ、ということを現前化することも大切です。それは 意識魂の時代における自由の時代でもあります。まさに社会的諸関係は、この自由な意志 から形成されるべきものです。ルドルフ・シュタイナーの『自由の哲学』の言葉では、次 のように表現されています。「行為への愛からの形成が可能である。」この自由な意志は、 さらなる人類の発展のための基礎です。そこにこそ部門活動の中心に存在し、部門におい て多様な形で営まれる社会問題の核心があります。

部門の歴史

ルドルフ・シュタイナーはもともとこの部門を1923年のクリスマス会議の際に立ち上げ るつもりでした。彼はギュンター・ヴァクスムートに部門代表を委ねるつもりだったので すが、ヴァクスムート氏がすでに自然科学部門の代表を引受けていたこともあり、さらに もう一つの部門を率いることは不可能だったのです。こうしてゲーテアヌム理事会は1961年にはじめて、クルト・フランツ・ダヴィッドを部門代表に据え、1963年から70年まで は、理事のヘルベルト・ヴィッツェンマンが部門を率い、1975年3月にマンフレッド・ シュミット=ブラバントが理事に招聘され、同時に社会科学部門が代表を引受けることに なりました。この課題は2000年11月まで、主体的なあり方で実現されていきました。2000年11月からパウル・マッカイが部門代表を引受け、「社会学のための部門」へ活動を広げ ていっています。

生活領域と時代現象との関係

ルドルフ・シュタイナーは生涯の間、社会的なイデーを段階的に展開していきました。こ の「社会学的な基本法則」において、シュタイナーは、あらゆる社会的諸現象を、自ら個 体として発展していく人間の観点のもとに考察しなければならないという基本モチーフを 示唆しました。「社会的主要法則」において、シュタイナーは、現代社会において個々の 人間は自分自身のために働くことはできず、むしろ分業する経済をとおして、誰もが他者 の助力を必要すること、そしていつも一者が他者のために、組合のために仕事をするとい うことを対極的に補っています。 これらの諸法則の形態をルドルフ・シュタイナーは、第一次大戦後、社会有機体の三分 節構造において具現化していきました。社会をきめ細かに見ていくことによって、フラン ス革命の人間的要請の実現に到るのです。つまり精神生活における自由、法生活における 平等、経済生活における友愛。南ドイツの地域においては、激しい尽力によって急速に国 民教育の運動が生れました。不足する支援と反対勢力の抵抗もあって、ルドルフ・シュタ イナーは、彼のイデーを具体的な活動の形成のための基礎として捉える可能性を得、例えばそれ自身が自治管理する学校形態としての「ヴァルドルフ学校」が、また連合的な経済 方式のための「来るべき日」が始まりました。経済学講座において、シュタイナーはつい には新しい経済学のための基礎を築いたのです。 数十年後この衝動は多様な形で展開していきました。その衝動はアントロポゾフィーの 様々な生活領域において多様な表現を見るに至りました。例えば農業経営において、病院 において、ヴァルドルフ学校において、銀行経営において、弁護士実務において、顧問活 動においてなどです。このようなイニシアチブが、意識的にアントロポゾフィーから生ま れ、ルドルフ・シュタイナーの社会衝動の実現のために仕事をする限り、それらは社会科 学部門との関係を持つものです。ちょうど直接民主主義や、無条件の基本収入のためのイ ニシアチブのように、直接社会的出来事と関わる様々な衝動も、この意味において観察さ れうることでしょう。

出典:
Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S. 103-108
翻訳:石川 恒夫