邦訳資料
Ⅳ 精神科学自由大学の諸部門/造形芸術部門
出典:Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S.109-1
訳:石川恒夫
造形芸術部門
Sektion für Bildende Künste
ウルスラ・グルーバー
Ursula Gruber
「内的生命の表現としてフォルムを創造することこそ、私たちの理想でしょう。なぜなら、 フォルムを見ることのできない、見つつ創造することのできない時代において、精神は必 然的に本質のない抽象に消えていってしまうでしょうし、現実は精神の欠如した、材料の 集積という単なる抽象的な精神と対置されるでしょう。」ルドルフ・シュタイナー(1905年11月25日マリー・シュタイナーへの書簡)
ルドルフ・シュタイナーの芸術衝動
アントロポゾフィーの芸術衝動の根源は、ルドルフ・シュタイナーがゲーテに取り組んだ ということの内にあります。そこから生れた美学は、理念的―精神的なものの素材の世界 に対する関係を、その中で目に見えない形で作用している精神的なものに対して物質が透 過するようになるまで物質を変容する委託を芸術家に与えるものと定義しています。芸術 は「秘密の自然法則の啓示者」となるのです。そこから生じる委託、感覚世界を芸術によっ て精神化し、「神々の喉頭」となるような芸術的なフォルムを創造し、感覚知覚を越えた、 そしてその「感覚的―倫理的作用」(ゲーテ)を人間の魂によって仲介された人間と超感 覚的な存在たちとの出会いを可能にするエソテリックな委託を、ルドルフ・シュタイナー は1907年のミュンヘン会議のインテリア造形によってはじめて世に問うたのでした。そこ で全く根源的な芸術的なエレメントが展開され、それが第一ゲーテアヌムで花開いたので す。その建物は、ルドルフ・シュタイナーの神秘劇上演のために建設されました。ゲーテ アヌムにおいて、学問と芸術と宗教の総合への努力が新しい秘儀の文化の意味において目 に見えるようになったのです。建築は総合芸術作品として表現され、そこでは様々な造形 芸術が有機体の模範に従って、生きた統一体に織りあわされていました。特に内部空間と して構想された建築のフォルムのことばは、胡桃と胡桃の殻との関係として構想され、ア ントロポゾフィーの精神的本質に対する相応しい被いを形成するように表現されました。 その場合、個々のフォルムは、アレゴリーという理念的内容としてではなく、リアルな精 神的プロセスとして表現されたのであり、それは人間の魂の中で追創造しつつ、直接的な 超感覚的体験として経験可能なものでした。建築はこの意味において人間の教育者として作用すべきものでした。ルドルフ・シュタイナーの努力は、アントロポゾフィー運動の構 成要素として芸術を導く、一つの固有の様式を生み出すことに向かっていました。精神的 運動は、それが固有の芸術を生み出し、感覚世界を造形しつつ変容させることができると きのみ、その活気を世界に示すことができるでしょう。それはこの世界観の、現実におけ る目に見える証となるでしょう。 この比類なき芸術創造は1922年の大晦日に放火炎上してしまいました。同じ場所に、 まったく変容された建築として第二ゲーテアヌムが建っています。それは初期のコンクリー ト建築の一つとして、彫刻のように世界に開かれて立ち、周辺環境に向かい、その内的本 質を拒絶することなく、その形姿に受けとめています。このフォルムの言葉はいまや、時 代精神の要請を取上げ、これと関わり、世界中に作用する精神的運動を代表する委託に対 応するものです。この建築は、この意向に対する、目に見えるようになった意識の器官の ごとく、この運動の中心として現れています。この建築に関連する芸術には、その手法に よって感覚世界を造形し、人間がその内的発展において鼓舞され、支援されるように、そ してその中で精神的・魂的存在として発展していけるようにする課題が立てられています。
総括するとルドルフ・シュタイナーの芸術衝動は二重の仕方で示されます。エソテリッ クな深化として内側へ向かう道と、精神による世界の変容として外に向かう道です。それ とともに人間の謎への問い、超感覚的な存在への問い、芸術によって世界を変容する啓示 への問いが結びつきます。 ルドルフ・シュタイナーは1923年のクリスマス会議における造形芸術部門を以下の言葉 で始めました。「皆さんが古いゲーテアヌムのことを思い起こすならば、皆さんはここで 造形芸術も大きな役割を演じたことを見出すでしょう。それは未来においてもそうでなけ ればならないでしょう。それゆえ私たちは造形芸術部門を必要とするのです。」ルドルフ・ シュタイナーは部門代表を、重い病気であったがゆえに当日出席していなかったイギリス 人彫刻家エディス・マリオン女史に委ねました。彼女の芸術的、エソテリックな能力を、 彼女の協働への意志とともに高く評価していたからです。彼女はしかし四ヶ月後に亡くな りました。1957年まで部門代表は不在でしたが、彫刻と絵画の領域ではゲーテアヌムに固 有の学校がありました。部門の歴史は大変変化に富んだ、強烈な個々の個性と芸術的な潮 流の対決によって刻印されています。それらを束ねる一つの試みは1990年代にはじめて、 ゲーテアヌムの大ホールの新たな造形との関係において、クリスチアン・ヒッチのもとで 為されたのです。
時代の兆候と時代の要請:敷居の芸術
アントロポゾフィーの芸術衝動の広がりは、あらゆる生活領域における極端な二極化の状 況の中に立っています。感覚以下の世界と、それに奉仕する技術と結びつきをもちつつ、 人間は一方では精神に敵対する物質主義に忠実であり、他方ではあらゆるリアルな地球の 困窮から解放された見かけの世界に熱中し、「自由に気の向くままに」際立った主知主義 を満足させています。現代文化においては、芸術の極みとして、地上の素材をもはや必要としない仮想空間におけるサイバー芸術か、グンター・フォン・ハーゲンスの屍の芸術の ような、死んだ物質を用いた変容しようのないプレゼンテーションとして現れています。 この二極化のなかで、僅かながらバランスをとろうとする関心が存在しています。ます ます増大する商業化によって、そして増加する信望の喪失によって、人間がその魂の領域 において、純粋に人間的なもの、彼の自由の中心を謳歌しうる、空間の展開が芸術からま すます奪われています。このことは、芸術的なものを人間的な諸関係から追い出し、現実 の社会的な重要性を否定する傾向にはっきりみてとれます。 私たちが創造的な人間精神として動けるような健全な自然の大地は沼地になってしまい、 もはや支えの機能を失ってしまいました。未来の芸術の使命は、死にゆく自然の「代替」 を形成し、人間に新しい大地を作り出すために、エーテル的なものの世界へ進むことによっ て生命力を付与することにあります。そこで人間は自らの未来の存在に即して更に発展し ていけるように。こうしてアントロポゾフィーの芸術家は、新しい形態言語へ向かったの であり、その基礎はこの領域に見られるのです。 特に建築において、この状況は特にはっきり感じ取れるでしょう。そこに作用する委託 は、技術的な発展によって、およそ全てのものをやりたいように建築できるという、形式 的な抑制の解消を示す世界中の展開にみられます。この変化は、有機的・生動的な建築の 精神的な意図と基盤のより深い理解を求めています。今日の空間と建築形態の生動化と破 局化は、同時代の人間の欲求に関して、超感覚的な体験と境を接し、あるいはそれを想起 させるより強固な体験への問いをたてるものです。 類似のプロセスは、彫刻芸術にみられる完全なる人体形姿の消失にも表れています。そ こにあるのはちりじりになった形象であり、崩壊のプロセスであり、情動的な内容の仲介 だけです。彫刻の自己理解の喪失と、それとともに文化的な意味の喪失は、環境芸術やオ ブジェとしての芸術、インタレーションなどの新しい芸術形式の広がりによって被われて しまいました。ルドルフ・シュタイナーによる「人類の典型」のような木彫における、エー テル的なものの合法則性に基づいた、人体形姿の新たなる創造は、まだ確信できるまでに 成功したわけではありません。新しい人間像に目に見えるフォルムを与えることは、時代 の要請のように思えます。過去数年、人間への明確な方向付けが世界的に感じられますが、 それは本質的に人間的な生活基盤の危険を知覚することと関わるものです。生活を支える 価値への問いは、そして自然の癒しの諸力への問い、そしてそれとともに無常なるものに おける破壊しえないものへの問いは、人間への眼差しとともにまったく新しいものです。 精神世界は引き寄せられ、現在的となり、敷居はとうに越えられ、この領域への洞察は 珍しいことではありません。それに応じて、適切な表現形式への憧れ、内的に体験された ものの認知と意識化への憧れが育ってきています。そこに隠されたかたちで、真の自己認 識への叫び、芸術的な出会いへの訴えが響いており、それによって芸術作品において啓示 されるものと親和しつつ自己を体験するなかで、人間は最も固有の本質と触れるのです。 それは自我を覚醒させる芸術への要請であり、感覚世界と超感覚的世界との橋渡しをする 「敷居の芸術」です。それは未来の秘儀文化の中でその課題を満たすことができるものです。
部門の仕事:精神的-芸術的な力を求めて
今日、造形芸術家は世界のいたるところ、個々のアトリエ制作について、アントロポゾフィー運動のなかでも、そして公開性のなかで、多様なあり方で仕事をしています。その仕事の成果は、建築、インテリア、ランドスケープ、家具、デザイン、彫刻、ガラス工芸、自由な絵画、壁画、装飾、宝石細工、織物、被覆芸術、グラフィックなどの芸術的な生活造形の多様な領域に流れ込んでいます。当初からアントロポゾフィーの芸術展開は、強固なる方法論の意識化が特徴的であり、それが様々なスクールの形成に至り、今日まで造形芸術部門の生命に多種多様な色合いを刻印しています。ルドルフ・シュタイナーの芸術衝動から100年、今や、その精神的な本質に配慮すること、そして同時に、まったく変わってしまった時代状況に結びつくことが課題となっています。伝統をとおして仲介される手がかりはもはや充分な形では体験されていません。いかにして私は今日、アントロポゾフィーの芸術衝動の代表者たりえるのでしょうか。内的な強化と、研究による深化の傾向は読み取れます。敷居(境界)への足取りは、直接的な要請として表れています。その場合一人一人が意識的な体験によってこのことを現在化し、体験を経て世界が実り豊かになるような道筋を発見していかなければならないような感覚が生きています。信頼性への問い、個々人の芸術的な精神探求による内的確信への問いがそれによって立てられます。この認識への努力は、個人的なものから上位の精神的な関係へと高められるために、時代精神の探求と結びつかなければなりません。この状況から、精神的な共同体形成への必然性が大きくなります。この意味において、過去数年、作業領域と問題設定の洗練のために、世界のいたるところで自己責任的な部門グループが形成され、また建築家のネットワーク[人間と建築の国際フォーラムIFMA]が形成されました。加えて公的機関(キエフ大学、オデッサ大学、ティフリスの芸術アカデミー、ハイデラバードやボンベイの建築学校など)での展覧会、講演会、講義活動が挙げられます。部門はルドルフ・シュタイナーの芸術衝動のための研究年や作業週間を提供しており、また専門家会議や、固有の芸術に関わる問題提起を個人研究の形式をとって追及する可能性をつくりだしています。世界のいたるところ、部門と結ばれた芸術学校、深化と専門化のための可能性が存在しています。ゲーテアヌムに固有の育成機関がつくられること、そして専門領域に特徴的な工房、アトリエが営まれ、そこでルドルフ・シュタイナーの示唆が日々探求され、目に見えるようになることが望まれます。
出典:
Die Freie Hochschule für Geisteswissenschaft Goetheanum, Zur Orientierung und Einführung, 2008 Dornach, S. 109-1
翻訳:石川 恒夫