クリスマス会議開会講演

1923年12月24日 ドルナッハ / ルドルフ・シュタイナー

訳:上松佑二 『アントロポゾフィア』2007年1-2月号~2008年5-6月号連載

クリスマス会議開会講演(1)

私の親愛なる友人の皆さん! 私たちは、鋭いコントラストを見ながら、新しい形のアントロポゾフィー協会の設立の ために、クリスマス会議を始めます。私の親愛なる友人の皆さん、私たちは皆さんをガレ キの山の訪問に招待しなければなりませんでした。皆さんがドルナッハのゲーテアヌムの 丘に登った時、皆さんが先ずここで広げる視線は、一年前に崩壊したゲーテアヌムのガレ キの山にとまりました。そして言葉の最も真なる意味に於いて、そうです、この光景は、 この地の、また世界に向かうアントロポゾフィーの基盤における私たちの仕事、私たちの 努力の外的な現われであり、心に深く語りかける象徴であるのみならず、ガレキの山のこ の光景は、今日の世界の諸関係そのものにとっても幾重にも象徴的なものなのです。 私たちは過去数日間、もっと小さなサークルの中で、先ず、一種のガレキの山を見なけ ればなりませんでした。そしてこのガレキの山も、私たちの親愛なる友人によって、10 年間にかくも貴重な、愛すべきものになったゲーテアヌムのガレキの山と似た意味で見ら れてよいものです。私の親愛なる友人の皆さん、20年の経過の中でアントロポフィーの 衝動として世界を通過して行った衝動の大部分は、ベルリンの哲学・アントロポゾフィー 出版社において、先ず世界に登場した、あの余りに多くの書物の中にあったと言っても多 分よいでしょう。皆さんは《哲学・アントロポゾフィー出版社》というタイトルの下に要 約されるものと20年間の仕事が本当に結ばれているから、この哲学・アントロポゾフィー 出版社の設立と運営に共働していた人の心からのものもまた、それに係っていることも理 解できるでしょう。そして丁度ゲーテアヌムの場合のように、私たちはこの哲学・アント ロポゾフィー出版社と共に、外的なものに関してはガレキの山の前に立っています。この 場合、この哲学・アントロポゾフィー出版社がこれまであったこの領域に支配する恐ろし い経済関係の中で、あらゆる可能性を越えて、全く異常な程に大きくなってゆく税金の関 係の下で、その全てによって、時代の出来事の波が――それを全く文字通りの意味で言う ことができますが――この出版社を叩き壊したからこそそうなのです。

さて、シュタイナー博士夫人は、先週この哲学・アントロポゾフィー出版社に錨を下ろ しているものを、既に、ここゲーテアヌム、ドルナッハに旅立つよう、手配をしました。 そして皆さんは、既にこの下の、ハイツ・ハウスと建築家事務所の間に小さな建物が生れ るのを見ています。それは、将来において、この哲学・アントロポゾフィー出版社、つま り、この本の在庫を収納すべき建物です。私たちは、そこでも外的には、先ずガレキの山 について話さなければならないものの一部をもっています。 そして私の親愛なる友人の皆さん、私たちはこのガレキの山が生み出したものとは別の ものを今日の時代の出来事と関連させることができるでしょうか?それは先ず、重苦しい 姿として既に私たちの前に立っています。そして一年前の新年の夜、ここで私たちの物理 の目の前で恐ろしく、私たちの魂の目の前で、切りさかれるように天の高みへと燃え上っ たあの炎、この炎を私たちは全く精神に於いて、過去20年間に建てた多くのものの上に 見ていると言えるでしょう。 これは差し当っては私たちの魂の前に置かれている映像です。しかし、外的なものはマー ヤであり、幻影である、という古代オリエントの直観についての真理ほど、現代では直接 人の意を迎えるものは恐らくない、と私は言わねばなりません。そして私の親愛なる友人 の皆さん、私たちがその前に立っているガレキの山は、マーヤであり、幻影であるという 感覚を心の中で活発にする時、私たちはこのクリスマス会議に対する正しい気分を見出す でしょう。私たちを直接ここで囲んでいるものの多くはマーヤであり、幻影である、とい う感覚です。 私たちの最も直接的な状況から先ず考えましょう。私たちは皆さんをこの木造の板囲い の小屋に招待しなければなりませんでした。私たちは、これを仮設として二日間で建てな ければなりませんでした。何故なら、私たちの友人のどれ程多くがこの日に現われるかが、 その時初めて明らかになったからです。私たちは、この仮設の木造板張小屋をすぐ隣りに 建てなければなりませんでした。そして私はためらうことなく、私たちの集会のこの外的 被いは、ガレキの山の直中の施設として、貧しい、恐ろしく貧しい施設として立っている、 と言わざるをえません。友人は、私たちが提供できたものの中で恐ろしく、こごえること から昨日の序曲は始まりました。しかし、皆さんにここで出会うものの多くがそこから出 てゆくこの厳寒をも、私の親愛なる友人の皆さん、私たちはマーヤ、幻影に加えたいと思 います。そして私たちをここで囲んでいる外的なものは、マーヤであり、幻影であるとい うこの気分に入ってゆけばゆくほど、私たちは、続く日々に私たちがここで必要とする、 あの力強い気分をよりよく発展させることができるでしょう。それは決してネガティヴで はありえない、あの気分であり、いかなる細部においても、ひたすらポジティヴでなけれ ばならない、あの気分です。そして火災の災いが、ここで、私たちのゲーテアヌムのクー ポラから吹き出してから一年の今、アントロポゾフィー運動が存続する20年の間に、精 神的なものとして構築されたものは、私たちにとっては、貪る炎のようにではなく、構築 する炎のように、私たちの心と魂の前に立つことができます。何故なら、アントロポゾ フィー運動の精神的内容から、至るところで、あたたかさが私たちの心をひくからです。 このあたたかさは、未来の精神生活にとって、まさにドルナッハの大地と大地に属するも のが秘めている無数の種子を生かすことができるでしょう。そして、未来の無数の種子は、 ここで私たちを囲むこのあたたかさによって、その成熟を展開し始め、私たちがその成熟のために行いたいと思っていることによって、充実した果実としていつか世界の前に立つ ことができるようになるでしょう。 何故なら、これまで以上に私たちは、アントロポゾフィーの名によって包括するような 精神運動は、地上的な恣意から生まれたものでは全くないことを忘れることはできないか らです。そして私は、私たちの会議の初めに先ず、次のことに注意を促すことから始めた いと思います。19世紀の最後の三分の一は、一方では唯物論の波が高まり、唯物論のこ の波に、世界の他方から偉大な啓示が打ち込まれた、ということに。それは敏感な情緒の 理解をもつ人が精神生活の諸力から受けとることができる、精神的なものの啓示です。精 神の啓示が人類のために開かれました。そして地上的な恣意からではなく、精神界から鳴 り響く呼び声の遵守から、地上的恣意からではなく、精神界からの近代の啓示として、人 類の精神生活のために生じてきた偉大な映像を見ることによって、そこからアントロポゾ フィー運動は、地上の勤めではなく、このアントロポゾフィー運動は、その全体において、 その全ての細部において、神々の、神の勤め(ミサ聖祭)です。そして私たちが、それを その全体においてこのような神の勤め(ミサ聖祭)として見る時、私たちはそれに対する 正しい気分に出会います。そして私たちは、この会議の初めに、この気分をこのようなも のとして私たちの心の中に受け入れたいと思います。このアントロポゾフィー運動は、そ れに身を献げるそれぞれの個人の魂を精神界におけるあらゆる人間的なものの源泉と結び つけようとすることを、このアントロポゾフィー運動は、人間を地球の人類の発展の中で、 当分満足すべき、あの最後の開悟へと導こうとすることを、私たちの心の中に深く書き留 めたいと思います。その開悟は、始まった啓示について、私は人間として、地上において 神に望まれた人間として、宇宙において神に望まれた人間として存在している、という言 葉に包まれるものです。

クリスマス会議開会講演(2)

私たちは今日、私たちが既に1913年に喜んでそれに結びついてもよかったことに結 びつきたいと思います。そこで、私の親愛なる友人の皆さん、私たちはその糸を再び受け 入れたいと思います。そしてその被いをアントロポフィー協会の中にもつべきアントロポ ゾフィー運動のために、最上位の命題として私たちの魂に次のことを書き留めたいと思い ます。協会の中で全ては精神によって望まれており、協会は、時代の印が輝く文字によっ て人間の心に語りかけるものを満すものでありたい、と。 私たちがアントロポゾフィー運動を私たち自身の中で最も深い心の事柄にすることがで きる時にのみ、アントロポゾフィー協会は成り立つでしょう。私たちにそれができない時、 協会は成り立たないでしょう。何故ならここでこれからの日々に行われる全てのうち最も 重要なことは、私の親愛なる友人の皆さん、皆さんの全ての心の中で行うことなのです。 私たちが語り、聞くことに私たちの心臓の血液が脈打つことができる時にのみ、それを正 しくアントロポゾフィーの事柄の出発点にするでしょう。この理由から実際、私の親愛なる友人の皆さん、私たちは皆さんを本物のアントロポゾフィーの意味で、ハーモニーを心 から呼び起すために皆さんをここにお呼びしました。そして私たちは正にこの呼びかけが 正しく理解されるという希望に身を任ねています。 私の親愛なる友人の皆さん、アントロポゾフィー運動がどのように始まったかを思い出 して下さい。この運動の中には、20世紀の到来に対する精神的啓示であるものが極めて 多様な形で作用しました。 そして多くのネガティヴなものに対して、それでも確かなポジティヴなものがここで強力 に表現されるでしょう。つまり、外的社会のあれこれを通して内的なサークルに流れこん だ精神生活の多様な形成が、本当に私たちの愛すべきアントロポゾフィーの友人の心を把 えたのです。そして私たちは、人間的な心と魂の事柄とがいかに偉大な宇宙的出来事と人 類の発展の偉大な歴史的出来事と結ばれているかを、特定の時点で神秘文学として示すよ うに進むことができました。そして個々の人間の魂の、宇宙に於ける魂的、精神的、神的 作用との関係に関するものの多くは、ミュンヘンで神秘劇が上演された、親しく貴重な4 年、5年の間、私たちの友人の魂を引きつけた、と私はやはり思います。 それから皆さんが、その破壊的な作用として誰もが知っているものがやってきました。 いわゆる世界戦争です。あらゆる努力は、あの困難な時代に、この世界戦争の間に必然的 に生じざるをえなかったあらゆる障害と妨害を潜り抜けられるように、アントロポゾフィー の事柄を導くことに向いました。 さて、時代の諸関係の必然性から行われたかなりのものは、私たちのアントロポゾフィー の友人のサークルの中でも誤解されたことは否定できません。人類を過去10年間、あり とあらゆる人間のグループに分裂させたあの雰囲気、この世界戦争がもたらした気分につ いて、相応しい形では未来に於いて始めて大多数の人間によってある判断が得られること でしょう。今日人は正にこの世界戦争の結果として、私たちすべてのもとに生きている恐 ろしいものを、まだ決して正しく判断してはいません。そして、アントロポゾフィー協会 は――運動ではなく――ある形で、既に世界戦争から分裂した形で生まれてきた、と言っ てもよいでしょう。 そして私たちの親愛なる友人シュテフェンさんが既にそのことを暗示しましたが――少 なからず誤解されやすい形で私たちのアントロポゾフィー協会の中に持ち込まれた幾つか のことがやってきました。それでも私は今日、本質的にはポジティヴなことについてのみ お話ししたいと思います。この集会が正しく進む時、この集会が精神的―エソテリックな ものが、いかに私たちのすべての活動と本質の基盤であらねばならないかを正しく意識す る時、至るところに存在しているあの精神の種子は、皆さんの気分と皆さんの情熱によっ てあたためられ、伸びることができるでしょう。そして私たちは今日、一方では、その真 の真摯さの中にそれを受け入れることを理解する気分をもちたいと思います。それは、外 的なものはマーヤであり、幻影であり、そのマーヤと幻影から芽が出てくる、――私たち の弱みにひたるのではなく、私たちが発展させたいと思う私たちの力、意志に夢中になっ て、目に見えない形で私たちのもとに生きているもの、多数の種子の中に目に見える形で 私たちのもとに生きうるものが芽を出すという気分です。私の親愛なる友人の皆さん、こ の魂がこの種子を受け入れる用意を、皆さんの魂がして下さい。何故なら皆さんの魂は、 この精神の種子の発展のための、成長のための、萌芽のための正しい大地であるからです。

そして、この精神の種子が真理です。それが太陽の光によって輝き出し、私たちの外的視 線がその上に落ちるすべてのガレキの山を照らします。アントロポゾフィーの最も深い要 求を、そもそも全ての精神的なものを、まさに今日、私たちの魂の中で光らせましょう。 外的にはマーヤと幻影が、内的には充分発展する真理が、充分発展する神の―精神の生命 があります。アントロポゾフィーはその中で真理として認識されるものを生きるもので す。 私たちはどこでマーヤの教えと真理の光の教えを生きるでしょうか? 私たちはとりわ け、この私たちのクリスマス会議の間、それを生きましょう。この私たちのクリスマス会 議の間に、心の貧しさを自らの内に担っている羊飼いの前に、そして全世界の英知を自ら の内に担っている王の博士たちの前に、宇宙の光を輝かせ、この燃え上がるクリスマスの 光、クリスマスの宇宙の光を、私たちの自らの心と魂によって起るものの象徴となるよう にしましょう! これらの言葉以上になお言うべきことを私は明日、アントロポゾフィー協会の定礎式に おいて語るでしょう。今はしかし、私の親愛なる友人の皆さん、次のことを皆さんにお話 ししたいと思います。先週私の魂に深く入ってきたある問いのことを語りたいと思います。 それはこのクリスマス会議において、何が実際出発点となるべきか、アントロポゾフィー 協会が成立してから10年間の経験は何を教えているか?という問いです。 そして私の親愛なる友人の皆さん、そのすべてから私にとって二者択一の問いが生まれ ました。私はよき理由から1912年、1813年に、アントロポゾフィー協会はこのよ うなものとして、自ら管理しなければならない、今や自らで運営しなければならないと語 りました。そして私は、助言を与える者の立場、直接その運営には係わらない者の立場に 身を引かなければならない、と。さて、今日事柄は次のようになっています。先週困難な 内的克服の後に私の内にある認識が昇ってきました。それは、私が今再び自らあらゆる形 式に於いても指導を、とりわけゲーテアヌムのドルナッハに設立される、アントロポゾ フィー協会の代表を引受けることにこのクリスマス会議が賛成しないとすれば、私はアン トロゾフィー運動をアントロポゾフィー協会の中で更に導くことはできないだろう、とい う認識です。 シュトゥットガルト会議の間、ドイツ協会を二つの協会に分けるという助言を与える、 あの困難な判断を下すことが、私にとって必要になりました。それは古い協会の継続と、 特に若者が代表すべき協会、自由アントロポゾフィー協会の設立です。 私の親愛なる友人の皆さん、この助言を与えることは当時困難な決断でした。それは基 本的にはこのような助言はアントロポゾフィー協会のあらゆる根本に矛盾するという理由 からむつかしい決断でした。ここ地上界において、人間の集まりが、今日の若者がその中 で充分守られていると感ずるような場所ではないとしたらどうでしょうか!それは異例の ことでした。そしてそれが恐らく、ここに新たに設立されるべきアントロポゾフィー協会 に於いて、自ら代表を引受けることができる時にのみ、私はアントロポゾフィー協会の中 でアントロポゾフィー運動を更に導くことができる、と皆さんに語る決断に流れ込んだ最 も重要な兆候の一つでした。それは世紀の変り目と共に、精神的な出来事の内部で深く深 く何かが進行した、ということであり、その何かとは、地上で人間がその下に立っている 外的出来事にその作用として現われてくるものです。

クリスマス会議開会講演(3)

最大の飛躍の一つは精神の領域で起りました。それは70年代の終りに準備され、世紀 の変り目と共に丁度その頂点に達しました。古いインドの英知はそれをカリ・ユガの終焉 として示しました。私の親愛なる友人の皆さん、それによって多くの、多くのことが語ら れています。そして私が最近様々な形で世界のあらゆる、私に開かれた国々の若い友人に 向い合う時、――繰り返し繰り返し――私は、この若者の心の中に脈打つもの、このよう に美しくしばしば実に定まらない形で精神的な活動に向って燃え上るものは、19世紀の 最後の三分の一から20世紀に至るまで、精神的な宇宙の営みの最も深い内面で起ったこ との外的現われである、と言わねばなりませんでした。そして私の親愛なる友人の皆さん、 それはネガティヴなものでは全くありません。私が今言いたいことは、私にとって、ポジ ティヴなものです。私が、あれこれに合流しようと再び努力した若者を丁度迎えた時、そ の統合の形はしばしばいつも、そこで本来望まれたものに相応しいものではありませんで した。このような協会に所属すべき時、人はいかにあるべきか、何をしなければならない かの、あれこれの条件が繰り返し繰り返しありました。 皆さんが御覧のように、アントロポゾフィー協会がそこから成長したテオゾフィー協会 の根本的な欠陥はその三つの根本命題の表現にあった、という感情に全ては集約されまし た。そこではあるものに信条告白をしなければなりませんでした。そして受け入れの書式 に署名をしなければならない、その方法は何かに教条的に信条告白をしなければならない ような外観をもっていて、それは現代人の魂の基本的理解には最早全く合わないものです。 今日の人間の魂は、感覚としてはあらゆるドグマに対して疎遠であり、根本に於いてはあ らゆるセクト的なものに対して疎遠です。そして正にこのセクト的な本質をアントロポゾ フィー協会の中からそぎ落とすことが困難であることは否定できません。しかしそれはそ ぎ落とされなければなりません。そしてその一糸もまた未来においては、新たに設立され るべきアントロポゾフィー協会の中にあってはなりません。それは本当の世界協会でなけ ればなりません。この協会では、それに入ろうとする人が次のような感情をもつに違いあ りません。そうです。私はここに私を動かすものを見出す、という感情です。そこで老人 は次のような感覚をもつに違いありません。私はそこで生涯、他の人間と共に得ようと努 めてきたものを見出す、という感覚です。そこで若人は次のような感覚をもつに違いあり ません。私はそこで青年を迎えるものを見出す、という感覚です。――何故なら、自由ア ントロポゾフィー協会が設立された時、自由アントロポゾフィー協会への受け入れ条件は 何か?という問いに、私は当時既に多くの若い友人に喜んで答えたことでしょう。――私 が今答えとして与えたいものを当時既に喜んで答えたことでしょう。その条件とは、現代 のあらゆる衝動がこの若い魂を満たす時に若い、という意味で本当に若いということに他 なりません。

そして私の親愛なる友人の皆さん、世界の若々しさとして今日精神的な背景から人類の 中へ、私たちのあらゆる生活領域を刷新しつつ老若に湧き起るものに対する心をもつ時、 アントロポゾフィー協会において正しい意味で老いるとはいかなることでしょうか? 私は、アントロポゾフィー協会を自ら代表するという課題を引き受けるよう、私を動か したものを気分に即して皆さんに暗示したいと思います。このアントロポゾフィー協会は、 既に様々な名称を見出しました。――このようなことはしばしば起ります。――こうして 例えばこの協会は、国際アントロポゾフィー協会という名称を見出しました。さて、私の 親愛なる友人の皆さん、これは国際的な協会ではなく、国々の協会でもあるべきではあり ません。そして私はここで国際協会という言葉を決して使うことのないように、そして、普遍アントロポゾフィー協会がある、とだけ語ることを心からのお願いとして語りたいと 思います。協会はその中心をここドルナッハのゲーテアヌムにもとうとしています。そし て定款は、あらゆる管理的なもの、いつか自ずと官僚主義に転化する動機を与えるかもし れない全ては、この定款から外れるように作られているのを皆さんは理解するでしょう。 この定款は純粋に人間的なものに向けられています。それは原理には向けられていません。 そうではなくて、この定款では、私の親愛なる友人の皆さん、純粋に事実的・人間的なも のに結びつくものが語られています。この定款の中ではここドルナッハにゲーテアヌムが 存在する、ということが語られています。このゲーテアヌムは、一定の方法で指導されて います。このゲーテアヌムでは、あれこれの仕事を行うよう試みられています。このゲー テアヌムではあれこれの仕方で人類の発展を促進することが試みられています。その言葉 がどれ程正しくあるいは誤って使われているかは、真の現代的な意味で把えられた定款に は何も書かれてはいません。しかしゲーテアヌムが存在し、このゲーテアヌムと人間が結 ばれているという事実があります。人々はこのゲーテアヌムの中であれこれを行い、この 行為によって人類の発展を促進する、と信じています。 この協会と結びつこうとする人からは、いかなる原則も要求されることはありません。 いかなる信条告白も、いかなる学問的関心も、いかなる芸術的意図も、何らかの形でドグ マとして提示されるのではなく、ひたすらその人がその中で自分の家にいると感じ、ゲー テアヌムで起ることと結ばれていると感じることが求められています。 この定款の起草に際しては、正にここに設立されるべきものを、あらゆる原理的なもの から取上げ、純粋に人間的なものの上に置くことが試みられました。それ故、ここで明日 からの日々に行われる設立に対して提案を行う人に、皆さんが信頼をもつことができるか どうか、を見てください。そしてこの設立集会において、ドルナッハで行われようとして いることを皆さんが承認されたことを明らかにして下さい。その時皆さんは事実を明らか にしたことになります。その時皆さんは、決して束縛されたのではありません。その時皆 さんは、皆さんの感覚からその事実を明らかにしたことになります。そしてその時、他の 全てのものをも認めるでしょう。そうです。それが明らかになるでしょう。その時初めか らドルナッハから信頼できる人の一群が任命されたり、指名される必要はないでしょう。 そうではなくアントロポゾフィー協会は、私が大きな満足をもって個々の邦域協会の設立 に出席した時、私がしばしば指摘したようなものになるでしょう。その時アントロポゾフィー協会は、これら邦域協会の中で形成されたものの基盤に基いて、自立的なものとし て生まれることができるようになるでしょう。

そしてこれら邦域協会は本当に自立的なものになるでしょう。その時このアントロポゾ フィー協会の中に形成されるどのグループも本当に自立的なものとなるでしょう。 私たちがこの人間的な立場に至るために、私の親愛なる友人の皆さん、私たちは今日正 に私が述べたような形で精神的な基盤に基いて築かれた協会において、正に二つの困難に ぶつかることが明らかでなければなりません。アントロポゾフィー協会の過去にそれがあっ たように未来においてはもはや、それはあってはならないようにするために、この困難を 私たちはここで克服しなければなりません。 一つの困難とは、現代に於ける時代意識が――この時代意識を正しく理解する誰もがそ れを認めると私は思いますが――起きるもの全てに対して全き公開性を要求しているとい うことです。そして確固たる基礎の上に築かれた協会は、とりわけこの時代の要求に違反 してはなりません。ある人にはあれこれに対して外的形式においても秘密が求められるこ とが、全く良いと思われるようなことがありうるでしょう。しかし、この協会のように真 理の基礎に基いてこのように築かれた協会が、この秘密をそれ自体としてまじめに要求す る時は、いつも時代意識とは矛盾することになり、それは協会の前進にとっては極めて真 酷な障害となるでしょう。それ故私たちは今日、私の親愛なる友人の皆さん、設立される 普遍アントロポゾフィー協会にとっては全き公開性が要求される他ありません。 《ルーチファー・グノーシス》に出た一番初めの文章の中で私が既に述べたように、協会 はアントロポゾフィー協会として、何らかの他の協会、例えば自然探求、あるいは類似の 目的のために設立される協会のように世界を前にして立たねばなりません。その内容とし てその血管に流れるものによってのみ、この協会は他のあらゆる協会から区別されるに違 いありません。人間が集まる形式においては、他の協会との区別は未来においてはもはや ありえません。私たちがアントロポゾフィー協会に全き公開性を認めることを初めから容 認するとき、私たちが一体何を捨て去るかを心に描いてみて下さい。

クリスマス会議開会講演(4)

私たちはひたすら現実の基盤に、つまり、現代の時代意識の基盤に身を置かねばなりま せん。それはしかし、私の親愛なる友人の皆さん、私たちの連続講義に関して、未来にお いては、過去において一般的であったのとはまったく別の慣例が登場することを条件付け ています。この連続講義の歴史は、私たちのアントロポゾフィー協会の発展の中の悲劇的 な一章です。この連続講義は先ずあるサークルの中でそれを受け取ることが出来る、と思っ たことから出版されました。それはアントロポゾフィー協会に属する人々のために出版さ れました。今日ではもう協会に属する人自身よりも、事柄に関する外的な公表に関しては 敵対者の方が私たちの連続講義により多く関心をもつような状態になっています。内的に ではありません。皆さんは私を誤解してはいけません。内的にではありません。私たちの 協会に属する人は既にこの連続講義と内的に係わっています。しかしそれはただ内的に留 まっています。それは正にエゴイズムに留まっています。たとえ美しい協会のエゴイズム

であろうとも。世界にその波を打ち出す関心、協会が世界に対して判を押す関心、この関 心を今日では敵対者が連続講義に向けています。そして連続講義が今日出版され、三週間 のうちに最悪の敵対者の文献の中で引用されているのを私たちは体験します。私たちが連 続講義の古い習慣を更に続けるなら、私たちは目を砂の中に埋め、私たちには闇だから、 世界の外も闇だ、と信じているようなものです。

それ故に私にとって既に数年来,と言いたい問いが生れました。連続講義をそもそもど うすべきか?という問いです。そして今日では、これまで物理的に引こうとした境界が、 至る所で打破られる、この境界壁を道徳的に引く以外の可能性はありません。 私はそれを定款の起草で行おうとしました。連続講義は全て未来に於いては、丁度他の 書物のように、例外なく公開して販売されるべきものです。しかし、私の親愛なる友人の 皆さん、どこかに偏微分方程式の解法に関する本があると考えてみて下さい。その本は大 多数の人間にとって大変エソテリックなもので、偏微分方程式、又は、線型微分方程式の 解法と有効に係わるエソテリックなサークルは今もこの二つの水門の中で非常に小さなサークルであるにしても、多分私は決して誤っていません。つまり線型又は、偏微分方程式の 解法に対するこのエソテリックなサークルを、小さくしておくことはできます。しかし、 この本をあらゆる人に販売することができます。しかし、偏微分方程式について何も理解 していないだけではなく、そもそも微分も積分もできない人が来ても、その人は、対数の 本とはかつて彼の息子の一人がもっていたもの、以外のことは多分何も知らないでいて、 父親としては対数については何も知りませんでした。しかし息子たちは対数とは何かを学 ばなければなりませんでした。そこで彼は対数の本を見て、次から次へと数値が出てくる のを見ても、それについては何も理解しませんでした。そこで息子達が彼に、それは世界 中のあらゆる都市の家の番号だ、と言うと、父親はそのようなことを学ぶのは大変よいこ とだ、パリに行くとあちこちの家の番号が何番かを直ちに知ることになるから、と父親は 考えました。 ある事柄について何も理解しない人が、この事柄について判断を下すのは無害であるこ とも皆さんは理解します。何故ならあれはディレッタントだ、素人だ、と言うからです。 そして生活そのものが判断できる能力と、できない能力に関して境界を設けています。 それ故私たちのアントロポゾフィーの認識の中では、物理的な方法ではなく、少なくと も道徳的な方法で更に境界を引く試みがなされるでしょう。私たちはそれを得たいと思う 人皆に、連続講義を販売します。しかし私たちは、誰がこの連続講義の判断に能力がある と思われるかを明言します。それによって私たちは彼の判断に何かを委ねるのです。他者 は誰もが連続講義に対して素人です。そして私たちは連続講義に関して、将来は素人の気 に入るような判断を最早全く認めないことを明言します。それが私たちが見出しうる唯一 の道徳的な保護なのです。私たちがそれを正しく行う時、私たちの事柄は、偏微分方程式 の解法に関する書物のように把えられるまでになるでしょう。その結果、誰かがたとえ他 の事柄においても、ある連続講義について判断を下す場合、対数を全く知らない人が判断 を下し、偏微分方程式についてこの本に書かれていることには多くの誤りがあると言うと したらそれは不合理であるように、不合理だということを次第に理解するようになるでしょ う。――素人と専門家の間の区別もまた正しく行われるところまにで、私たちはそれを導 かなければなりません。

私の親愛なる友人の皆さん、私たちに大きな困難を用意する更なるものは、アントロポ ゾフィー運動の活気が至る所で一貫して正しく評価はされていないということです。アン トロポゾフィー運動を、人類の発展にとって解体されるべきものと併列させることによっ て、全く否定しようとする判断を、あちこちで聞くことができます。最近また私には初め て次のようなことが起きました。アントロポゾフィーが与えるものを、あれこれの人々の 前にもっていくと、それをしかも最も強力な実践家たちが受け取ります。彼らにはアント ロポゾフィーや三分節について語ってはならない、これを否定しなければならない、とあ る人がわたしに言いました。――御覧のようにそれは多年来、多くの人によって奨励され てきたことです。それは私たちが行いうる最も間違ったことです。私たちは至る所で、い かなる領域であろうとも、全て真理の印の下に、アントロポゾフィーの本質の提唱者とし て世に登場しなければなりません。そしてそれができない限り、私たちは実際、アントロ ポゾフィー運動を促進することはできないことを意識していなければなりません。アント ロポゾフィー運動への全てのヴェールに被われた出来事は結局の所いかなる治癒にも導き ません。 このような事柄に於いては勿論、全てが個的なものです。全ては一つの型に嵌められて はなりません。私が実際意図していることは、しかしこのことです。私はそれをより多く の例によって私が意図することを明らかにしたいと思います。 オイリュトミーがあります。オイリュトミーは、私が昨日オイリュトミー公演の初めに も語ったように、実際アントロポゾフィーの本質の最も深い根底から汲み取られ、育まれ ています。そして今日まだ実に不完全であろうとも、オイリュトミーによって、全く根源 的なもの、第一義のもの、他の何かとは決して比較されてはならないもの、今日一見似た ものとして世に登場するものと比較されてはならないものが世に提示されていることを意 識していなければなりません。私たちはこの情熱を私たちの事柄に向けてふるい起こさな ければなりません。私たちは外的な表面的な比較の可能性を排除しなければなりません。 このような命題がいかに誤解されうるかを私は知っています。しかし、親愛なる友人の皆 さん、それでもここで皆さんのサークルの中でそれを言明します。何故ならそれはアント ロポゾフィー協会の中のアントロポゾフィー運動の発展にとって基本条件の一つを表わし ているからです。 同じように私は例えば最近多くの血の汗を流さねばなりませんでした。――それは勿論 象徴的な意味です。――私たちの協会の中でシュタイナー博士夫人によって形成されたあ の朗唱と朗読の形式についてのありとあらゆる討論に関するものです。オイリュトミーと 同様この朗読と朗唱の根本は、アントロポゾフィーの基礎から取り出され、育まれるもの ですから、この根本の真髄に身を置かねばなりません。それを認識しなければなりません。 そしてあちこちで、他の類似の形式の中の良いものとして、しかもより良いものとして存 在しているものの何らかの断片を導入すると、より良いものが生れてくるようなことを、 信ずるのではなく認識しなければなりません。この根源的なもの、この第一義的なものを、 私たちのあらゆる領域で意識していなければなりません。 第三の例としてアントロポゾフィーが特に実り豊かなものになりうる領域の一つは医学 的なものです。アントロポゾフィー運動の中の医学的な領域の中で、アントロポゾフィー がそれとして背景に押しやられ、私たちの事柄の医学的部分を今日の観点から医学を提唱する人々の気に入るように私たちが提唱する傾向がある時、アントロポゾフィーは必ずや 医学的なもの、特に治療学にとって実りなきものに留まるでしょう。私たちはあらゆる勇 気をもってアントロポゾフィーを、個々の全てに、医学的なものにも運び込まなければな りません。その時にのみ、私たちは狭義のアントロポゾフィーそのもの、オイリュトミー があるべきもの、朗読と朗唱があるべきもの、医学があるべきもの、私たちのアントロポ ゾフィー協会の中に個々のものとして生きている、他の多くのものを成就しなければなら ないように成就します。 御覧のように、普遍アントロポゾフィー協会の設立のための私たちの会議の始まりに、 心の前に提示されなければならない根本条件を私は少なくとも皆さんに暗示しました。協 会は暗示された意味において、信念の協会であり、定款の協会ではありません。定款は魂 の中で生々としているものをただ外的に表現しなければなりません。

クリスマス会議開会講演(5)

さて、私は今とりわけ先ず急いでここに暗示したような方向に位置づけられる定款の提 案を朗読したいと思います。

《アントロポゾフィー協会定款》

1、《アントロポゾフィー協会は、個々の人間および人間社会における魂の生活を、精神 界の真の認識の基盤に基いて育成しようとする人間の集まりである。》

2、《この協会の基盤をなすのは、1923年のクリスマスにドルナッハのゲーテアヌム に集まった人々である。それは個々人であり、またグループの代表でもあった。その人々 は多年来探求され、今日では重要な部分が既に公開されている、精神界についての本当の 学問が存在するという見方、そして今日の文明にはこのような学問の育成が欠けていると いう見方に貫かれている。アントロポゾフィー協会はその育成を使命とする。アントロポ ゾフィー協会は人間の社会生活における友愛のために、そして人間の本質における道徳的・ 宗教的・芸術的かつ普遍的・精神的な生活のために、ドルナッハのゲーテアヌムで育成さ れるアントロポゾフィーの精神科学とその成果を努力の中心点としてこの使命を果そうと するものである。》 私の親愛なる友人の皆さん、協会はこれによっていかに原則に基いてではなく、人間に、 ここに集まった人間に基いて築かれているかに気づくでしょう。そして、これに加わって くる他の人々は何を表明するでしょうか。他の人々は、ここにあるものに関して、本質的 にはこれらの人々と理解し合っている、ということです。こうしてあらゆる抽象を度外視 して、このアントロポゾフィー協会は、人間に基いて築かれています。

3、《ドルナッハの協会の基盤として集まった人々は》――該当する人物が至る所にいる ことを皆さんは知っています――《次の事柄に関して、ゲーテアヌム指導局の見方に賛同 し、それを承認している。“ゲーテアヌムで育成されるアントロポゾフィーは、国籍や身 分、宗教の相違に関わりなく、精神生活を鼓舞するものとして、あらゆる人間に奉仕する ことが出来るような成果を招来する。その成果は実際兄弟愛の上に建てられた社会生活を 招来することができる。人生の基盤としてこれらを習得することは、学問的教養の程度に ではなく、とらわれのない人間の本質にのみ結びついている。”》 それによってここに成果として現われるものは、とらわれのない人間の魂として受け入 れることができる意味において、あらゆる人間に理解できるものであることが表現されて います。 それはしかし、この成果に導くものについての探求とは幾分異なったものであり、それ が直ちに表現されます。この探求は厳密に区別されなれければなりません。それ故更に次 のようになります。 《その探求と探求成果に対する事実に即した判断とはしかし、段階的に到達される精神 科学の修行によって左右される。この成果はそのあり方において真の自然科学の成果と同 様に厳密である。その成果が自然科学の成果と同様に一般的に認められるようになるなら ば、自然科学と同様の進歩を、あらゆる生活領域において、すなわち精神的のみならず実 際的領域においてもまたもたらすであろう。》

4、《アントロポゾフィー協会は何等秘密結社ではなく、全く公開の協会である。精神科 学自由大学としてのドルナッハのゲーテアヌムのような機関の存在の中に意味あるものを 見る人ならば、国籍、地位、宗教、学問的あるいは芸術的確信の相違に関わりなく、誰も が会員になることができる。》 私の親愛なる友人の皆さん、ここでは何によって人は会員になりうるかが厳密に問題に なる、と語られるのではなく、会員になろうとする人は、ゲーテアヌムの存立に、《精神 科学自由大学としてのドルナッハのゲーテアヌムのような機関に、意味あるものを見る人》 とだけ注意がなされていることを理解するでしょう。――皆さんはこの定款の起草の全て の個々の言い廻しに沿って徹底的に考えてみなければなりません。それは短いものです。 定款は短いものでなければなりません。一冊の本を書くべきではありません。しかしそれ ぞれの個々の言い廻しが直接的な意識から書かれたように与えることが試みられているこ とを皆さんは理解するでしょう。 《協会は、いかなる宗派的な志向をも拒否する。協会は政治がその使命の内にあるとは 見なさない。》 この一文を私たちは必要とします。何故なら三分節の時代に私たちの多くの会員の、と りわけ明瞭ではない態度から多数の誤解が生まれたからです。それは始めからこれら友人 の誤りでしたが、三分節の事柄は、私たちの友人によって様々に政治的党派にもちこまれ ることによって、――アントロポゾフィーは決してそうはしなかったし、決してそうはし えないのに――アントロポゾフィーを世界の政治的な機会に混入させようとしているかの ごとき様相を様々に呈してきました。

5、《アントロポゾフィー協会は、その活動の中心をドルナッハの精神科学自由大学に見 ている。大学は三クラスから成るであろう。》 私の親愛なる友人の皆さん、この三クラスについてどうか驚かないでください。三つの クラスは元々、アントロポゾフィー協会の中に既にありました。ただ1914年までは別 の形でありました。 《ゲーテアヌムの指導局によって決められている期間会員であった後、協会の会員は申 請によってそのクラスに受け入れられる。その会員はそれによって精神科学自由大学の第 一クラスに達する。第二クラスないし第三クラスに受け入れられるのは、ゲーテアヌムの 指導局によって申請者がそれにふさわしいと見なされる場合である。》

6、《アントロポゾフィー協会会員の誰もがこの協会によって開催される講演、そのほか のあらゆる催しや集会に、理事会によって知らされる条件の下で参加する権利をもってい る。》

7、《精神科学自由大学の設立は、当面ルドルフ・シュタイナーの責任の下にあり、彼は その協力者と必要な場合の後継者を任命しなければならない。》 私はここで既にこの精神科学自由大学を未来において個々の部門に分けるつもりである ことに注意し、その指導のために私はそれに相応しい人物を招聘することでしょう。ドル ナッハの精神科学自由大学を個々の部門で指導する相応しい人物は、同時に私がすぐ後で お話しする形成中の理事会の助言者でもあるでしょう。

8、《協会の全出版物は他の公開の諸団体のそれと同様に公開のものとなる。この公開性 については精神科学自由大学の出版物もまた例外ではない。》連続講義は未来は――精神 科学自由大学出版物―― と呼ばれるでしょう。《しかし大学の指導局は次のことを要求する。すなわち、修業から 生まれて来ているこれらの著作について、この修業に基づくことのないいかなる判断に対 しても初めからその正当性を疑問視する。大学の指導局はこの意味で、ふさわしい予備研 究に基づいていないいかなる判断をも正当なものと認めないであろう。それは他の公認の 学問の世界においても慣例であるのと同様である。それゆえ精神科学自由大学の出版物―― それは未来において連続講義であろう――は次のような註を付記している。》《精神科学 自由大学ゲーテアヌム・・・クラスに属する人のための草稿として印刷された。この大学に よって、あるいはこの大学がそのものから同等と認められた方法に基づいてこの大学が有 効と認める予備的認識を獲得していない何人も有効な判断を下す資格はない。》 誰もが買うことはできます。判断できるのは当該のクラスに属する人だけです。そこに は以下の注が印刷されます。《精神科学自由大学ゲーテアヌム・・・クラスに属する人のた めの草稿として印刷された。》と。 《対応する著作の著者がこの文献についての議論を認めない限り、他の判断は受け入れ られない。》

クリスマス会議開会講演(6)

9、《アントロポゾフィー協会の目標は、精神的領域における探求の促進であり、精神科 学自由大学の目標は、その探求そのものとなる。アントロポゾフィー協会からはいかなる 領域におけるドグマも排除されるべきである。》

10、《アントロポゾフィー協会は、毎年ゲーテアヌムで正規の年度集会を開催する。その 中で、理事会から充分な報告が与えられる。この集会の日程は全会員に対する招待と共に 会議の三週間前までに理事会から通知される。》 それについては決議がなされることでしょう。 《理事会は臨時の集会を召集し、そのための日程を決定することもできる。理事会は開 催三週間前までにその招待を会員に送らなければならない。個々の会員あるいはグループ からの提案は、会議の一週間前までに送付されなければならない。》 ここでは会員の側からも臨時集会が要求される、という一文を加えることが重要です。

11、《会員はそれぞれの地域ならびに分野において大小のグループに属することができ る。》 普遍協会にとっては、どのグループも国のグループもこの条文に含まれています。普遍 協会は国際的でも国民的でもなく、それは普遍的人間的なものです。――そして他の全て は協会にとってはグループです。それによって私たちは本当に自由に支えられた生命をア ントロポゾフィー協会に持ち込むのであり、発展しようとする至るところでまたひたすら 自立的な生命をうるのです。それ以外に私たちは先に進むことはありません。 《アントロポゾフィー協会はこの協会の使命と見なすものをここから会員または会員グ ループに伝えなければならない。》 私の親愛なる友人の皆さん、この命題は全く特別の重要性をもっています。何故なら、 その中に理事会がいかなるものと理解されるかが含まれているからです。理事会は選ばれ るものとは見なされません。理事会は私たちがここゲーテアヌムで何かを行おうとする。 そして私たちが行うあれこれについて、それを個人として又はグループとして行いたいと 思う人と交流し、この定款を認めこの定款を理解していると明言する、それぞれの個人又 はそれぞれのグループを会員として認める、と言う人間のグループと理解しています。 それによってこの理事会は最も自由な形で協会の中に置かれていることを明らかにしま す。つまり、アントロポゾフィーの事柄のために、イニティアティーフをもつ人間のグルー プとして以外ではありえません。そしてこのアントロポゾフィーの事柄に対するイニティ アティーフの表われは、この理事会の心臓の血液でなければならないでしょう。つまり理 事会は抽象的な人間の代表ではありません。ここゲーテアヌムにおけるアントロポゾ フィーの事柄の代表者です。理事会はここゲーテアヌムでアントロポゾフィーの事柄を代 表する課題をもっています。そしてこの理事会が認めようするある協会の会員であることを認めることは、正にアントロポゾフィーの事柄の促進に結びつくことです。未来におい て会員と理事会とは、その関係において全く普遍的人間的であり、全く自由に考えられて います。私たちはまだそれには至っておりません。私たちはそれを全世界の前に提示しな ければなりません。その時、決して選ばれたのでない恣意的理事会が自分自身の任命によっ て過去10年間存続した卑劣な一味のような判断はもはや登場しないでしょう。始めから 事実を鋭く強調し、アントロポゾフィー協会においては本来の選挙は不可能であり、そう ではなくてイニティアティーフだけがありうることが強調されなければなりません。つま りこの理事会とは、《理事会は各グループによって選ばれ、あるいは指名された役員と連 絡をとる。》 それがいかに生まれるかは個々のグループの定款の事柄です。私たちにとってここでは、 私たちが委ねる理由から信頼をもってこの役員と話合いたいと思うことがひたすら重要で す。 《各グループは会員の入会を助ける。ただしその入会の認証はドルナッハの理事会に提 出され、グループ役員に対する信頼の下で、理事によって署名される。一般に会員の誰も があるグループに入ることとする。ただしどのグループへの入会も全く不可能な人に限り、 ドルナッハで直接会員として受け入れられる。》

12、《会費は各グループによって決められる。ただし各グループは会員一人につき・・・を ゲーテアヌムの中央指導局に納入しなければならない。》 私はここで点を打ちました。私は既にそれについてのある考えをもち、それを場合によっ ては提案もしますが。しかし私はここでまず点を打ちました。それによってできるだけそ れについての幅広い熟慮が明日まで話合われるからです。何故なら私たちはここでもまた お金を必要とするからです。理想主義は、私はそれについて既にしばしば語りました、お 金のようにひどくひどくアーリマン的なものには理想を決して触れさせてはいけない。理 想はそれからできるだけ自由にしておくべきだ、と言うことの中にはありえません。左手 を財布に、右手を理想にかかげる!―理想を高く掲げるために、たとえわずかな犠牲でも 払うように、いつかは右手で左の財布への居心地よくない動きをしなければなりません。

13、《各活動グループはそれぞれ自らの規約を作成する。ただしそれがアントロポゾ フィー協会の規約に矛盾してはならない。》

14、《協会の機関誌は週刊“ゲーテアヌム”である。この目的のために協会の公的なお知ら せを載せた折込が用意されている。この拡張版はアントロポゾフィー協会の会員にのみ配 布される。》 これは私が行く至る所で、アントロポゾフィー協会で何が起っているかについて、全く 何も聞いていない、と判断能力のある会員が私に語ったことに出会った、という理由から 私には特別心にかかる一文です。――私たちはまさにこの機関誌によって慎重な報告を行 うでしょう。個々の人からの通信は益々多くなりうるでしょう。それによって人はアント ロポゾフィー協会の中にひたすら生きることができるようになるでしょう。》

クリスマス会議開会講演(7)

さて、親愛なる友人の皆さん、私が自らアントロポゾフィー協会の代表を引受けるとい う前提に皆さんが同意されることをよく考え、その目的と目標に達する場合、私はなお、 私が実際少なくともスケッチ風にここで皆さんに暗示した課題を果すことができる人であ る理事会を皆さんに提案しなければなりません。 理事会会員は、アントロポゾフィーの事柄の現実の、事実的な実施のために、ここドル ナッハにいる人でなければなりません。私が協会を考えると、理事は世界中の至る所に求 められることはありません。それは個々のグループがその役員を自主的に選ぶことを妨げ ないでしょう。そしてこの役員はここドルナッハに来て出席の間、その人は助言する会員 として理事会会議に受け入れられるでしょう。つまり事柄全体に生命が入ってきて、官僚 的に世界中に分散した理事会ではなく、個々のグループに責任をもつ役員がいて、その役 員がグループそのものから出てゆく、しかしドルナッハに置かれた理事会会員と同等の権 利をもつ会員として、充分に自分を感ずる機会をいつでももつ人です。仕事はしかし、ド ルナッハのこの理事会によって配慮されなければなりません。 さて理事会は自明の如く、その生活を外的にも内的にも余すところなくアントロポゾ フィーの事柄に献げた人でなければなりません。そして先週の長い熟慮の中から理事とし て以下の人物を皆さんに提案することをお許し下さい。 私が副理事長にアルベルト・シュテッフェン氏を皆さんに提案すると、何らかのかすか な矛盾も全く生ずることなく、すべての心に分け隔てなく、充分な賛同の声があがるだろ うと思います。(拍手喝采) それによって同時に理事会そのものの中に私が今日既に暗示したことが表現されていま す。つまりアントロポゾフィー協会としての私たちのスイスとの結びつきです。そして私 は皆さんの前で私の確信を決定的な言葉で語ります。それは私が皆さんに次のように言う ことによってです。ここのスイス人でアントロポゾフィー協会において、全力で理事会会 員として、また副理事長としてスイス人をもつことが問題になる時、よりよいスイス人を 見出すことはありません。 それから理事会の中にそのすべての初めからアントロポゾフィー協会と結ばれていて、 アントロポゾフィー協会の大部分を構築し、今日アントロポゾフィー協会の中でアントロ ポゾフィーのやり方で最も重要な領域の一つで作用している人物をもつことが問題になる でしょう。シュタイナー博士夫人です。(拍手喝采) 皆さんは全てを語りました。そしてそれによってはっきりと私たちの選択は何らかの形 でこの方向に向けて正しいものに出会わないだろうという恐れを何らもつ必要はないこと を表現しました。 更なる理事会会員として、私は皆さんに先週のここでの事実から、私が現在その人と共 にアントロポゾフィーの医学体系を創ることによってアントロポゾフィーの情熱を正しく吟味する可能性を正しくもつ人物を提案しなければなりません。イタ・ヴェーグマン博士 夫人です。(拍手喝采) 彼女はその仕事によって――そして特にその仕事の解釈によって――彼女がこの特殊領 域においてアントロポゾフィーを正しく際立たせることができることを示しました。そし て私はそれが恵みをもたらすように作用するであろうことを知っています。その時私は、 次の時代のために、医学のアントロポゾフィーのシステムを既にヴェーグマン博士夫人と 共同で創ることに着手しました。それは世界の眼前に現われることでしょう。そしてそれ から私たちは、正にこのような形で仕事をする会員にアントロポゾフィー協会の正しい友 人をもつことを理解するでしょう。 更に私は皆さんに一人の会員を提案しなければなりません。それは今や本当にドルナッ ハの仕事にとって大きなものとあらゆる詳細において、細かい点に至るまで吟味され、常 に忠実な会員として証明された会員です。理事会会員は実際、正しく選ばれています。―― 何ら自己説明であるべきではないと私は思いますが。アルベルト・シュテッフェンは生ま れる前から既にアントロポゾーフでした。人はそれを彼に認めるに違いありません。シュ タイナー博士夫人は勿論アントロポゾフィー協会がある間いつもアントロポゾーフィンで した。一番初めの時代、私たちの後から入ってきた一番最初の会員の一人がヴェーグマン 博士夫人です。彼女は20年以上アントロポゾフィー運動の会員です。彼女はこのホール の中で私たち自身を除けば最も古い会員です。同じように大変古い会員は、私が今思うと 本当に細かい点までここでの最も忠実な協働者として吟味され、皆さんが本当に細かい点 まで了解できる人物がいます。それがリリー・フレーデ博士です。(拍手) そして私たちは今やアントロポゾフィーの理事会の中にもう一人の人物が必要です。そ れは私たちが自分で全てを受入れることはできない多くの心配を取去ってくれる人物です。 何故ならイニティアティーフは分離されなければならないからです。――しかし全てを考 えなければならない一人の人物がいます。それは他者が(それはまた決して自己説明であっ てはならないのですが)アントロポゾフィーの事柄において少しでも照らされた頭部をも つように努力する時――しかしいわば頭をぶつけないで、まとめる一人を必要とします。 それは多くの関連において多くの他者のために先ず試される人物であり、その人はいかな る試練にも耐えるであろう、と私が思う人物です。それが私たちの親愛なるギュンター・ ヴァクスムート博士でしょう。彼は実際ここで私たちのためにしなければならないすべて において本当にその試みの総体を既に示したのであり、彼は極めて調和のとれた形で共働 できることを示しました。時と共に彼とは次第に満足できることでしょう。私はギュン ター・ヴァクスムート博士をも認めていただくことをお願いします。――彼は会計係では ありませんが、秘書と経理責任者として私たちの下でその役割を果すべき人です。(拍手)

理事会は小さくなければなりません。私の親愛なる友人の皆さん、それ故、リストもこ れで終わりです。そして午前中の私たちの時間も終わりです。私はなお、私たちが皆とり わけこの集会において気分、―ある気分を―、厳粛な気分をもつよう努力したいというお 願いを語ってもよいでしょう。この気分から、アントロポゾフィーの厳粛な気分から、私 たちが次の日々に必要とするものが生れてくるでしょう。そして私たちが次の日々のため にそれをもつなら、私たちはアントロポゾフィー協会のためにその中に入ってゆく未来の時代のためにもそれをもつでしょう。皆さんの心に私は訴えました。皆さんの英知のうち の、皆さんの心に燃え、情熱化されるものに訴えました。私たちはこの燃え上がり、この あたたかさを、この情熱を、続く集会を通して担おうではありませんか。それによって、 何か正に実りあるものを、この続く日々に行なおうではありませんか。

なお二つのお知らせをしなければなりません。今日の午後2回クリスマス劇、楽園劇の 上演があるでしょう。最初の上演は4時30分に行われ、――そこに入れない人は――今 日は皆が楽園劇を観ることができるでしょうが――6時にそれを観ることができるでしょ う。 私たちがもつ次の集会は夕方8時です。アントロポゾフィーの光に照らされた世界史に ついての私の最初の講義がそこで行われることでしょう。 明日の火曜日の10時に、私たちはアントロポゾフィー協会の定礎のためにここに集ま るでしょう。そしてアントロポゾフィー協会の設立集会がそれに続くでしょう。 そしてなお、今日の午後にお知らせした事務総長と代表者の集会は今日は行われないこ とをお知らせしなければなりません。何故なら、設立集会が既に行われてから行われる方 がより良いからです。その集会は明日2時 30分に下のグラスハウスの建築家事務所で行われるでしょう。つまり理事会、事務総長 とまたその秘書である人々の集会です。